真夜中のドリフターズ

先日、夜お風呂に入っていたところ、家のドアを激しくノックする音がしました。

 

文字にすると、「ドタドタドタドタっ!」という感じの16ビートです。

BPMにすると130ほどで、片手で繰り出せるビートではありません。

となると両手でノック?それは置いておいて。

 

私はあわててずぶ濡れのまま、髪の毛も洗っている最中だったので本当に全身ずぶ濡れのままバスタオルで前だけを隠して浴室を出ました。

 

すると、なんと、同じマンションの1階に住む大家さんがそのままドアを開けて入ってこようとしました。なお、大家さんは大体70歳過ぎと思われる男性です。

 

大家さんは言います。「今いい?」

 

私は何かあったことは察しつつ、先述のように素っ裸、ずぶ濡れで前だけ隠しているという往年のドリフターズみたいな恰好だったので「すいません。すぐ着替えるので少し待ってください。」と告げました。

 

ですが大家さんはそのまま話を続けます。

聞けば、私がかけていた音楽の音が大きく外に漏れているとのこと。

 

私は全裸・ずぶ濡れのまま平謝りし、大家さんは去っていきました。

 

 

以上が起きたことです。

 

冷静に振り返ります。

 

まず、事の発端・責任は私にあります。私が聴いていた音楽の音が漏れたのが悪いので反省しなければなりません。

そこは絶対で、揺らぐものではありません。

 

それとは別として問題があります。

あくまで私史観ということになりますのでご容赦ください。

 

まず音について。

今回はお風呂に入るときに居間のドアを開けて(普段は閉めています)音楽を聴いていたこともあり、聴いていた音楽が外に漏れていたのです。

私もかねてから、居間のドアを開けて音を出して玄関の前に出たとき、ほんのり音が漏れているなとは思いました。

しかしながら、家の前のわずかなスペースは滞在する場所ではなく通り過ぎるものだという意識があったため、良しとしていました。さらにはほかの方の家の前からも同じように多少の音がしているなと思っていました。

 

私が住んでいるマンションの構造上、上の階やフロアに隣室はなく、ほかの方に迷惑がかかるとしたら下の階だけで、主観にはなりますが、どうしても下の階に聞こえるほどとは思えません。

とはいえ、同じマンションの他の部屋の方が同じように注意されたかは不明ですが、繰り返しになりますが私が悪いのは言うまでもありません。

 

次に、やはり家の前に立ち、「聞こう」としたら音は聞こえるものだと思うのです。

(私が悪いことに変わりはありませんが)

 

そしてここからが最も引っかかったことです。

大家さん、音が漏れていたとはいえ勝手に入ってきていいのでしょうか。

私が女性でも入ってくるのでしょうか。

 

真っ暗にした家の中に勝手に入ってきて、しかも出てきた私は先述のとおりドリフターズです。私が女性ドリフでもそのまま入ってくるのでしょうか。

 

チャイムを鳴らしていただければ、ドア越しに呼びかけていただければこちらからドアを開けます。

大家さんの話は真摯に伺います。

悪いのは私です。

 

ですが・・・。

男性と男性とは言え素っ裸を見られてはいい気がしません。

ましてやけたたましい16ビートの後、ガチャっという音とともに姿を現す大家さん。

怖いです。

 

勝手な言い草であることは百も承知ですが、その時の恐怖で体調が・・・、と恨み節が続いてしまいます。

 

今後はご迷惑をおかけしないこと、そして在宅中もきちんと施錠をしておくことを誓った次第です。

 

 

「日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―」 練馬区立美術館

このブログの自己紹介で、好きなものの一つとして美術を挙げました。

 

以前は美術館によく行っていましたが、コロナ禍以降ほとんど行くことがなくなりました。

正確には、出不精の私がコロナ禍を口実に大手を振って引きこもった、というのが真実なんですけどね。  

 

 

そんな中、先日、久々に行った美術館がこちらです。

  

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練馬区立美術館で開催中の「日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―」。

 

 

 

私はマネはさほど好きではないのですが、キービジュアルの雰囲気が親しみやすかったことと、練馬区立美術館には行ったことがなかったのも相まって行ってみました。

 

展覧会の説明を見て初めて知ったのですが、マネの個展って日本では過去3回しか行われたことがないとのことです。

 

この情報が会場入り口付近に書いてあったものですから、実はそのことがずっと引っかかってしまいました。

帰宅した今でも訝しんでいます。あのマネの個展がたった3回。「個展」の定義などもあるかと思うのでもっと調べてみたいところです。

 

それはさておき、やはり、とりたてて好きな作品には出会えなかったという印象です。

 

展覧会は、マネの作品が少数と、ほかは森村泰昌氏と福田美蘭氏のマネに関連付けた作品が数多く展示されていました。

 

私はどうも森村氏の作品が好きになれません。

作品に入り込んだからなんだというのだろう、と思ってしまうのです。

「作品を蹂躙する」というテーマは悪くないと思うのですが、「で?」と言いたくなります。

ですが、今回の作品の中では、「フォリー=ベルジェール劇場のバー」をモチーフにした作品は、作品に入り込む必然性が仕組んであったりして腑に落ちました。

オリジナルの作品の中の「仕掛け」をおちょくっていて、なるほど、と思わせてくれました。

 

ですが、「笛を吹く少年」をモチーフにした作品などは、ずばり言って不快でした。

「不快」と言ってしまうと、画家は喜んでしまうかもしれませんが、「ただの不快」でした。

 

 

練馬区立美術館。

 

入場料は1,000円とお手頃です。

せっかくキービジュアルは良かったので、もう少し見せ方などを工夫すれば魅力的な美術館、展覧会になるような気がします。

駅から近いし、さほど混んでいないというのはうれしい限り。

 

次の展覧会に期待したいです。

 

 

 

 

 



友達いる? -他人の夢に厳しい男 番外編-

他人の夢に厳しい男、Wについては先日以下の記事で書きました。

 

 

blogger-r-mtd.hatenablog.com

 

 

今日はその番外編です。

 

他人の夢に厳しい男こと、大学時代の友人Wは、人当たりがよくルックスもいいので女子によく話しかけられていた印象があります。

 

その中の一人が、名前は忘れましたが、いえ、思い出したくもありませんがSさんです。

 

Sさんは何か適当な理由をつけてWに話しかけていました。

私は、Sさんとは仲良くなれるような気はしなかったのですが、軽く挨拶だけし、一応、知り合い、ということになりました。

 

大学生活は進みますが、私はWや、だいぶ前にこのブログに書いたTくん以外に友達は全くおらず、常に一人で行動していました。

負け惜しみのようですが、群れて授業を受けたりすることが大嫌いだったというのもあります。

 

するとある日、Wと話しているとSさんはやってきてWに何か話しかけていました。

そして申し訳程度に私に話しかけてきてこう言うのです。

 

S「いつも一人でいるよね。」

私「・・・、まあね。」

S「友達いる?」

私「・・・、あまりいないかな。」

 

 

 

ここまではいいのです。

 

 

 

問題は次です。

 

 

 

S「・・・、ごめんね・・・。」

 

 

 

 

0点です。

 

 

 

その「ごめんね」は0点です。

萩本欽ちゃんなら0点です。

 

そこで言うべきは「だめだよ友達作んなきゃ!」です。

バシッ!と肩をたたいてもいいでしょう。

 

そうすれば私も「いやー、コミュ障でしょうがないっすよ!」くらいのことは言えます。

 

ですが「ごめんね」と言われたら「オチない」のです。

 

私は苦笑いすることしかできませんでした。

 

 

 

ですが、私は知っています。

 

Sさんこそ一人で行動しているのをよく見かけました。

 

そして、たまに隣にいるその女性が、Sさんを本当に友達だと思っているか。

 

そして、私にとっての音楽の様に生涯をかけて打ち込めるものがSさんにはあったか。

 

答えは簡単です。

 

 

あの日の0点は、あの日だけのものではないのです。

 

 

他人の夢に厳しい男 (後編)

Wは他人の夢に厳しい。

お笑い芸人になることを目指していた友人が一般企業に就職をするという話を聞いて、蛇蝎のごとく忌み嫌っていた。自分にはできない夢を追う他人がうらやましいから、その夢をあきらめてほしくなかったのだろう。

 

 

時は流れて、大学も4年となり、私は就職活動もせずに今後のことで悩んでいた。

 

私は出身が地方で、両親には地元に帰ってくるように言われていたが、私は地元が大嫌いだった。そして東京が好きだった。そして東京で音楽を作ることが自分にとっては重要だった。

 

自分というものが確立されていない私はひどく悩んだ状態でWに会った。

Wは私に言った。

「どうも流されているように見える。自分で自分の人生をコントロールできていない。オレだったら親を説得して自分のやりたいようにやる。」

 

そのとおりだ。

 

 

しばらくしてまたWに会った。

私はバカにされるかもしれないと思いながらも自分の意志をWに話した。

「オレは東京で暮らして東京に刺激を受けながら音楽を作りたい」と。

青臭いが本心だ。

 

一瞬の沈黙のうちWは言った。

 

 

「コントロールできてるじゃん。」

 

 

その言葉である程度自信をつけた私は、親とも話し、東京で暮らしながら働き、今も音楽を作り続けている。

 

 

 

就職して数年がたった時、久しく会っていなかったWから電話がかかってきた。

「何してんの?」と。

 

私はピンときた。

定期的に行われる、Wの「他人の夢チェック」だと。

私はあえてこう答えた。

 

「働いてるよ。」

 

Wは、「ふーん」と見下したように言って、二言三言話して電話は終わった。

Wが私に期待していたのは「音楽を作っている」という言葉だということはすぐわかったが、私は大学時代より多少成長していた。

重要なのはWを満足させることではなく、自分が満足することだ。

 

それはむしろWに教わったことだ。

 

そこからさらに時は流れた。

 

私は音楽を作り続け、とあるコンテストの入選の常連のようなものにもなり、ほんの少しは成果を上げた。

 

Wとはすっかりご無沙汰だったが、私はWの先述の見下したような「ふーん」がずっと頭の中に残っていた。

そしてWに久々にメールを出してコンテストのことなどを伝えた。

 

すると数日後、Wから

「作曲続けてたんだね。今度会おうよ。」という返事が来た。

 

だが私は返信をしなかったし会ってもいない。

Wが私に期待しているのは「音楽を作り続けながら悪戦苦闘すること」で、私が私に期待しているのは「いい曲を作ること」。

 

その違いは大きいし、私の暮らし、そして音楽を作ることは見世物ではない。

私は音楽を作り続けることに迷いはないし、私が満足したいから音楽を作っている。

 

Wには感謝しているが、これ以上Wの「他人の夢チェック」に付き合うのは徒労感でしかない。

そう実感した私は、悪いと思いつつもWの電話番号やメールアドレスを拒否設定にした。

 

それが、人に流されず自分でコントロールした自分の意志だ。

 

 

そしてそれは、Wに教わったことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

他人の夢に厳しい男 (前編)

大学の時、とある英語の授業で隣り合った男に話しかけられた。

 

Wとしよう。

 

Wは私とは違う学部で、会うのはその授業が初めてだった。

 

Wは人見知りなどしない性格のようで、私に話しかけてきてそれなりに会話できたのが何よりの証拠だ。

また、彼は服装などもおしゃれで、今思えばそれなりに「モテた」のではないかと思う。

 

聞けば彼はCGなどに興味があり、自作のPCでCG作品を作ったりしているという。

 

私は初対面の緊張もありしどろもどろながら、「自分は作曲をしている」ということをWに話した。

Wは「へえ、じゃあ来週のこの授業の時に持ってきて聴かせてよ」と言った。

私はこの会話の流れはよく目にするので「わかった。来週持ってくるよ。」といいつつも、これはあくまで会話の流れで、社交辞令と受け取った。

それに私は他人の重荷になることが嫌いだし、自分の大事にしている部分に入られるのがもっと嫌いなので、Wの言葉を真に受けなかった。

 

 

真には受けなかった。

 

 

一週間後、件の英語の授業でWと再会した。

授業終了後、Wはまさかの言葉を口にした。

「持ってきた?」

 

私はびっくりして思わず聞き返した。

「え?何を?」

 

Wはつまらなそうに「持ってきてないか・・・。」とつぶやいた。

 

私は意を決した。

 

「曲なら持ってきたよ。」

 

そう、私は半信半疑ながらも携帯プレーヤーに曲を入れて英語の授業に臨んでいたのだ。

 

Wはびっくりしつつも早速イヤフォンで曲を聴いてくれた。

ひどいミックスの曲だったので、クラッシュシンバルがジャーン!となるタイミングでWの体がビクッと揺れた光景を覚えている。

 

曲自体をWは褒めることはなかった。

だがとてもうれしそうだったことも覚えている。

 

余談だが、その光景を目にした授業を終えたばかりの外国人教師が私たちのところにやってきて「何を聴いているんだい?」と私たちに尋ねた。

たしかWは「his music!」と答えた気がする。

教師は「oh!」とかなんとか言って、これもまた楽しそうな笑顔を浮かべていた気がする。

 

 

そうやって私はWと親しくなった。

 

 

秋の大学祭では、小さな教室を1室借りて、WがCGで作った作品を展示し、私は音楽を作ってそこで流した。行動力のない私からしたら、作品を発表する機会をもたらしてくれたことはWに感謝しなければならない。

 

私たちはたまに会っては、Wは私に音楽をちゃんと作っているか聞かれ、ちゃんと作っていることを知るととてもうれしそうだった。

 

Wは周りに流されないタイプで、いわゆる自分の意志、というものをしっかりと持って、それを行動に移す強さを持っていた。

認めたくないが、自分にはないものを持つWに、私は知らず知らずの間に憧れていたのかもしれない。

今の私は海外一人旅が好きだが、よくよく考えたらこれはWの影響かもしれない。