「ハヤブサ消防団」 池井戸 潤

前回取り上げた「天国の修羅たち」に続き、自分にとっては確実におもしろいであろうという前提で読んだ本になります。

何しろ、ここ何年かの間に出した氏の全ての作品を読んでいるし、そのほとんどがいい印象を持った作家だからです。

 

 

多少のネタバレがあります。

 

 

結果は、一言で言って池井戸潤さんの作品で最もおもしろくなかったというものです。

 

そもそも、タイトルの「ハヤブサ消防団」が、主観ではありますが興味をそそられません。しかしそれは「下町ロケット」という、タイトルと中身でいい意味で裏切られた作品があるので、今回も裏切ってくれるだろうと期待して読み進めました。

ですが、裏切ってはくれませんでした。

 

このブログ恒例の納得いかない点を挙げてみます。

 

そもそも、舞台となった「ハヤブサ地区」の描写が中途半端な印象を受けました。

ロケーションの描写だけ見ると、だいぶ、だいぶ山奥の閑村に見え、人もいない、店も少ない、美しい自然はある、というものですが、ゆかりがあったとはいえ主人公がそこに居つく、移住するのがどうも無理があるような。

 

某宗教団体をモチーフにしたであろう、作中の教団も、ゆかりがあったかもしれませんがそこまでかの地にこだわる必要があったとは思えません。

 

そうです。

ひなびた町、村なのにいろいろなものが「集まりすぎる」のです。

 

どうせひなびた町を舞台にするなら、巨大な宗教などは絡めずに、その地域の因習などに特化してクローズドサークルを描いた方がぞくぞくする魅力を表現できたのではないでしょうか。

 

どうも、宗教団体をモチーフにすると、話が大づくりになりテイストが決まってしまう感があり好きになれないのです。

 

そして、宗教団体の先鞭兵である真鍋ですが、そんなに街中をうろちょろしている中で放火ばっかり起こしたら真っ先に疑われますよ・・・。

私はてっきり、真鍋は「あまりに怪しすぎて実はいい奴」というパターンだと思って読み進めたのですが、普通に悪い奴でした。

 

 

良かった点として、池井戸作品ではおなじみの食事のシーンはさすがです。

作中に登場する居酒屋「△(さんかく)」はとても魅力的で、「この店に行ってみたい」と思わせてくれました。本題には関係なくても、作品に浸るためにはこれはとても重要なことです。

 

また、主人公と友人が、「太郎くん」、「勘介くん」と「くん付け」で呼び合うのはとても気持ち良かったです。

私は、男性同士の呼び捨てなど雑な付き合いが好きではないので、これは良かったです。

 

ストーリー全体は、誰にも感情移入できず、だからどうしたのだろう、と思うにとどまりました。

 

以上、池井戸作品にしては低い評価となりましたが、この1作だけで作家への信頼は揺らぐものではありません。

得意の金融業界から完全に離れた世界を舞台としたことは大いに評価できると思いますので、次作に期待したいところです。

ステッカーの話

CDを買ったときなど、何かのおまけでステッカー、シールをもらうことがありますよね。

「初回限定特典ステッカー付き」などと書いてあると確かに惹かれます。

 

でも、私はそのステッカーを貼ったことがありません。

 

どうも、その少しずつはがれてよれていく感じが苦手なのです。

 

また、私ならキーボードを持っていますので、そういったものにバンドのステッカーを貼る方もいらっしゃると思います。

でも、その「アンオフィシャル感」と言いますか、中途半端なカスタマイズに魅力を感じないのです。

 

だからと言って、ステッカーを貼っている人が悪いなんて全く思わないですけどね。

自分の趣味の話です。

 

そして、あまつさえ、パソコンを買ったときに本体に貼ってある「INTEL」などのステッカーはすぐ剥がしてしまいます。もっと言うと、デスクトップにプリインストールされている数多のアイコンは削除してから使い始めます。

 

昨今よく聞く「断捨離」ともまた違います。

ものがあるととにかく落ち着かないんです。

自分は極力少ないものに囲まれて生きていきたいだけなんです。

 

最近は、初回限定のステッカーがもらえる場合も断るようになりました。

 

本当に必要としている次の人にもらってほしいからです。

 

 

先日書いた、ミュージアムショップでの買い物にも似ている話です。


希少性も惹かれますが、実用性も欲しい。

 

欲張りかもしれませんが、趣味の世界は誰にも気兼ねなく自分の好みを追及したいところです。

 

 

 

クリエイターにとっての死刑宣告

先日、古い友人のIくんにこのブログのことをお知らせした。

 

Iくんは今となっては私にとって最も長い付き合いの友人だ。

 

また、Iくんは私のYouTubeチャンネルのアドレスを教えているただ一人の友人でもある。

 

友人がいないから、というのは置いておいてもなぜIくんにはブログとYouTubeチャンネルの存在を教えたか。

それは私がIくんのものの見方を信頼しているからだろう。

 

Iくんとは特別好きな音楽のジャンルが共通しているわけではない。

しかし、彼ならわかってくれる、楽しんでくれる、そう思わせてくれる不思議な存在だ。

 

彼が信頼に耐えうる理由の一つにプロレスがある。

 

Iくんのプロレス(に限った話ではないが)に対する批評は群を抜いている。

プロレスという特殊な世界を看破しているのだ。

プロレスは八百長だとかそんなことはどうでもいい。

 

「プロレスは説得力」

 

Iくんの言葉だ。

 

これほどシンプルにプロレスの本質を表現した言葉があるだろうか。

 

 

閑話休題

 

 

かつて、別の知人Fくんに私の曲を聴いてもらったことがある。

 

Fくんは学生時代にバンドをやっていたそうで、ギターも弾ける。

彼のバンドの音源も聴かせてもらったことがある。

曲としてはごく普通だと思ったが、私は音楽が好きな気持ちを1枚のCDに込めてパッケージングするということ自体が美しいことだと思うし、それを聴かせてもらうことがとてもうれしかった。

 

だから、Fくんに感想を言うときも特に無理することなくすらすらと伝えることができたし、自然とポジティブな感想になった。

仮に、箸にも棒にもかからないような曲だったとしても、おそらくあそこをもっとこうしたらいいんじゃないか、などと前向きな批評を伝えたと思う。

 

 

そして私の曲の感想を聴いたFくんの反応だ。

 

Fくんは「いや、ちょっと・・・。」というだけだった。

私は、聴いていないんだなと思い、それはそれでしょうがないと思ったので「じゃ、そのうち聴いてみてね。」と答えた。

 

そしてしばらくたち、あらためてFくんに感想を聞いてみた。

 

すると、Fくんは、苦笑いの表情を浮かべた。

 

苦笑いの表情を浮かべるのみだった。

 

 

Fくんがとった行動は、間違っていない。私が強引に自分の曲を聴いてくれと押し付けただけだ。

 

だがあえて言う。

その苦笑いに比べたら「くだらない曲だ」、「才能がない」と唾棄された方がましだ。

 

マチュアのクリエイターにとって、その苦笑いはあまりに残酷だ。

わたしはそれを死刑宣告と受け取った。

 

以来私は、Fくんと音楽の話は一切していない。

 

無視するとかそういった態度はとらないが、音楽の話は一切していない。

 

Fくんとの関係性において、アマチュアミュージシャンの私は既に死んでいるからだ。

 

 

 

 

 

 

つらい時の対処法

つらい時、どうすればいいのか。

 

私が知りたいところではありますが、私なりの少しだけ、ほんの少しだけましになる方法はあります。

 

考えない、気にしない、損をしているのは相手・・・。

そのとおりではありますが、これらの「考え方」で対処できるのは私からしたら上級者です。

 

そうではない、少しだけましになる方法です。

 

 

①できるだけゆっくり歩く。

 

部屋の中でもゆっくり歩きます。できれば歩数計を装着するのが望ましいです。

歩数計は、自らの行動を数値化してくれます。ただお手洗いに行くにしても、「ちゃんと進んでいる」ということを教えてくれます。たとえそれがゆっくりでも進んでいるんだと実感できるのです。

 

②単純作業のルーティーンをする

 

理屈は①と同じです。

ただの単純作業をすればいいわけではありません。

私の場合最もいいのはアイロンがけです。

アイロンがけは私にとって、1週間の中で最も面倒なルーティーンのうちの一つです。

単純だけど気を抜くとしわがついてしまう。いつの間にかアイロンがけの技法に意識が行って、ほんの少し解放されます。

 

何よりも、コンディションがよくなった時に、ルーティーンがひとつ終わっていたらより気分は晴れます。

 

③音楽を聴きながらジョギングをする

 

そもそもジョギングに繰り出すのがつらい方もたくさんいるでしょう。

その時は①と組み合わせてください。

ゆっくり、歩数計を横目で見ながら動き出してください。

場合によっては寝間着のままでもゆっくり起きだして音楽を聴きながらジョギングしてみてください。

音楽が嫌いだったらイヤフォンだけ装着して、無音の世界に包まれて走ってみてください。

学生時代のばかばかしい長距離走とは違い自分のペースで走ってみてください。

頭の中に嫌なことが浮かび上がっては消えて全然すっきりしないかもしれません。でも走り続けてください。

その時きっと、「走り続けること」は、「走り出すこと」と違って全く苦痛ではないことに気づくはずです。時間は1時間以上をおすすめします。

 

走り出して1時間後、依然として嫌な思いに進まれている場合が多いです。

でも少しだけ、そうですね、10%くらいは嫌な思いは消えているはずです。

外のさわやかな空気に触れたからとかではありません。

ホルモンのバランスが変わっているからです。

素人調べなので適当なことは言えませんが、セロトニンが分泌されています。

 

家に帰ったらぬるま湯に飛び込んでください。

だから湯舟を用意してからジョギングに出かけるのがベターです。

 

 

私はこんなことをして、つらさを10パーセントほどやり過ごしています。

 

 

あとはお願いします

先日仕事で、他社の方とのWEB会議のアポイントを取りました。

 

こちらからの参加者は、一番エラい役員です。

当然先方からもそれ相応の方にご出席いただきます。

私はただの調整係です。

 

その際に、先方の調整ご担当者、言わば私と同じ立場の方とのメールでこんなやり取りがありました。

 

「〇月〇日、15時からということで了解しました。

こちらの担当は私に代わりまして□□になります。

 

□□さん

 

あとはよろしくお願いします。」

 

 

前段は全く問題ありません。

 

問題は後段です。

内輪での会話にすべきではないでしょうか。

ともすれば今回のWEB会議がやっかいごとだという心の声がもれている・・・、なんてとられかねないような気がしてこちらが心配になってしまいました。

 

 

また別の相手先とはこんなやり取りもありました。

 

「〇月〇日、16時からということで了解しました。

こちらからの出席者は『開発担当△△』となります。」

 

先方のご出席者のお名前はわかりました。

ですが私は、当方の役員の秘書に、先方のご出席者の役職を伝えなければなりません。

役職とは、言うまでもなく「専務」、「常務」、「部長」等々です。

これは役員などが出席する会議であれば重要なことで、当たり前ですが、役職による差別的な意図は全くありません。

 

私は失礼がないようにこうメールを返信しました。

「△△様ですね。ありがとうございます。

念のため、大変失礼ながら△△様の役職名もお聞かせいただけたら幸いです」

 

すると先方のご担当者から電話がかかってきました。

 

「役職って何ですか?」

 

私は先述のとおり、「専務」などのことである旨を伝えます。

するとご担当者はご立腹して「『開発担当』が役職なんです。」とのこと。

 

わたしはあきらめ、役員秘書にそのとおり伝えました。

 

そしてWEB会議が数日後に迫ったある日、先方の△△開発担当より連絡がありました。

別件で当方にお越しになる予定があるため、私や私の上司にご挨拶させていただきたいとのこと。

そして△△開発担当はいらっしゃいました。

 

私と△△開発担当は名刺交換を行います。

 

 

その名刺にはこう書いてありました。

 

 

 

「XX株式会社 YY部 部長 △△ 」

 

と。