T君のこと ②

話は前後しますが、出会ったその日にして(当社比で)親しくなったT君は早速私の家に遊びに来ました。

そして私の機材を触りながらおしゃべりしてT君は帰っていきました。

T君が帰ったあと私はなんとはなしにYAMAHAシーケンサーを再生しました。すると、聴いたことがない曲が再生されました。
そうです、T君は私と談笑していた1、2時間の間に一曲作っていたのです。これには驚き私のT君の音楽の腕に対する信頼は強いものとなりました。

その後私は、肌が合わなかった音楽サークルからは当然足が遠のきました。
いえ、件の最初の会合に出ただけで何もしなかったので、そのサークルには仮入部しただけといった方が正しいでしょう。
小西康陽似の小西先輩ともそれっきりです。

そしてT君は、4月の新人ライブのようなものこそラルクアンシエルのカバーバンドのキーボードとして出演したものの、
やはり彼もそのサークルからは完全に離れていきました。


私の音楽活動は完全に一人で打ち込みを行い、T君とI 君に聴いてもらうものになりました。
依然T君の作曲の腕は私のそれよりはるかに熟練しており、私が大学1年生の最初のほうに作った曲はT君の影響も感じられる作風でした。

今思うと、T君とのとりとめもない会話が私の孤独な新生活を紛らわしてくれて、「T君はずっとこんな話をしていく親友だな。」
そんなことを思っていました。


そしてそんなころ、T君は私にこんなことを教えてくれました。
「俺の友人でCっていう奴がいるんだけど、彼は天才。10代でYamahaDTMコンテストに投稿して、10代部門もあるのに全体部門でも優勝しちゃって。しかも2年連続。
今度Cとも会ってみない?」

人見知りな私ですが、T君の友人ならうまく話せるかもしれないと思い、すぐT君の家で会うことになりました。

初対面のC君はさほど口数が多いタイプではなく、気難しい印象を受けましたが、なんとか会話らしきものをすることができました。
そして肝心のC君の作品ですが、実は当時の自分には「普通」としか思えませんでした。
ですので、T君に感想を求められた私は微妙な表情をしていたと思います。
これは本当に申し訳ない。
私があまりにも当時音楽を知らな過ぎました。
その後自分なりに音楽を勉強し、作曲を続けることで、当時のC君の作品がいかに素晴らしいかがわかったのはしばらく後です。


つづく