クリエイターにとっての死刑宣告

先日、古い友人のIくんにこのブログのことをお知らせした。

 

Iくんは今となっては私にとって最も長い付き合いの友人だ。

 

また、Iくんは私のYouTubeチャンネルのアドレスを教えているただ一人の友人でもある。

 

友人がいないから、というのは置いておいてもなぜIくんにはブログとYouTubeチャンネルの存在を教えたか。

それは私がIくんのものの見方を信頼しているからだろう。

 

Iくんとは特別好きな音楽のジャンルが共通しているわけではない。

しかし、彼ならわかってくれる、楽しんでくれる、そう思わせてくれる不思議な存在だ。

 

彼が信頼に耐えうる理由の一つにプロレスがある。

 

Iくんのプロレス(に限った話ではないが)に対する批評は群を抜いている。

プロレスという特殊な世界を看破しているのだ。

プロレスは八百長だとかそんなことはどうでもいい。

 

「プロレスは説得力」

 

Iくんの言葉だ。

 

これほどシンプルにプロレスの本質を表現した言葉があるだろうか。

 

 

閑話休題

 

 

かつて、別の知人Fくんに私の曲を聴いてもらったことがある。

 

Fくんは学生時代にバンドをやっていたそうで、ギターも弾ける。

彼のバンドの音源も聴かせてもらったことがある。

曲としてはごく普通だと思ったが、私は音楽が好きな気持ちを1枚のCDに込めてパッケージングするということ自体が美しいことだと思うし、それを聴かせてもらうことがとてもうれしかった。

 

だから、Fくんに感想を言うときも特に無理することなくすらすらと伝えることができたし、自然とポジティブな感想になった。

仮に、箸にも棒にもかからないような曲だったとしても、おそらくあそこをもっとこうしたらいいんじゃないか、などと前向きな批評を伝えたと思う。

 

 

そして私の曲の感想を聴いたFくんの反応だ。

 

Fくんは「いや、ちょっと・・・。」というだけだった。

私は、聴いていないんだなと思い、それはそれでしょうがないと思ったので「じゃ、そのうち聴いてみてね。」と答えた。

 

そしてしばらくたち、あらためてFくんに感想を聞いてみた。

 

すると、Fくんは、苦笑いの表情を浮かべた。

 

苦笑いの表情を浮かべるのみだった。

 

 

Fくんがとった行動は、間違っていない。私が強引に自分の曲を聴いてくれと押し付けただけだ。

 

だがあえて言う。

その苦笑いに比べたら「くだらない曲だ」、「才能がない」と唾棄された方がましだ。

 

マチュアのクリエイターにとって、その苦笑いはあまりに残酷だ。

わたしはそれを死刑宣告と受け取った。

 

以来私は、Fくんと音楽の話は一切していない。

 

無視するとかそういった態度はとらないが、音楽の話は一切していない。

 

Fくんとの関係性において、アマチュアミュージシャンの私は既に死んでいるからだ。