「マスカレード・ゲーム」 東野 圭吾

押しも押されぬ人気作家の最新作です。

 

ネタバレがあります。

 

率直な感想としては、作家の作品はほぼ読んでいますが、初期の作品を除き下から数えた方が早い作品でした。

 

この作品は、作家の作品の中でも屈指の人気シリーズと言ってもいいもので、読むに際し、確実に及第点をとるであろうと確信していた作品でした。

先日ご紹介した「天国の修羅たち」同様、映画化に合わせたタイミングで書かれたことは言うまでもないのですが、残念ながら前二作と比べて明らかにクオリティは落ちます。

ホテルを舞台にしたクオリティの高いミステリというのは類を見ないものなので、もっと大事に、作家の望むタイミングで描いてほしかった。

作家の望むタイミングが今回だったのかもしれないですけどね。

 

どうも作家の近作、いえ、ここ10年ほどの作品は過去の身内の死に対する復讐、といったモチーフが多いような気がします。

そして、説教がましいものも多い。

今作もその傾向かな、と思って読み進めたのですが、すべてがそうではなかったのでセーフ、という感じでしょうか。

 

恒例の気になった点を列挙します。

 

①覚えているのは当たり前

序盤、主人公であるホテルコンシェルジュ、山岸が数年ぶりにホテル・コルテシア東京に戻ってきたときの場面です。

作中ではっきりと明言はされていませんが、新型コロナが収束しているらしきこと、そして新田が出世していることなどから、前作から2,3年後と想像されます。

山岸が現在のスタッフに紹介されます。スタッフは入れ替わりもあるようですが、知っている顔も少なくありません。そこでこんな描写があります。

 

「~川本は、過去に事件が起きた時もこの職場にいた。向こうも覚えていて~」

 

ええと、一緒に仕事したことがある同僚を表現するときに、「向こうもこちらを覚えていて」って当たり前でしょう・・・。その表現は、取引先の一度だけあったことのある人などに対して使う表現です。「向こうも懐かしそうに笑った」などがいいところでしょう。

 

皆さん想像してみてください。

例え全国47都道府県に支店がある巨大組織だとしても、支店Aで一緒に働いて、数年間支店Bに行く。数年後支店Aに戻ってきて当時一緒に働いた同僚と再会した場面を形容するのに「覚えている」はないでしょう・・・。覚えているのが当たり前すぎることは「覚えている」とは言いません。

 

 

②違和感のある言葉遣い

今回初登場の梓警部です。

おそらく30代前半と推測される、デキる女です。

その梓警部が監視カメラの録画映像を見ているときに不審な光景に気づきこう言います。

 

「映像を戻してちょうだい」

 

ええと、「ちょうだい」ですか・・・。

フィクションの世界なら使われる言い回しかもしれませんが、それとて、60,70代くらいのご婦人が使う言い回しですよ。

30そこそこの鼻っ柱の強い女刑事が使うには違和感ありありですよ・・・。

「映像を戻して」で十分です。

 

作家の作品は私はほぼ無条件で好きなのですが、この描写を見たとき、認めたくはありませんが、何かの終焉を感じてしまいました。

 

 

 

③山岸の性格や行動の設定がぶれている

正義感あふれるプロフェッショナルな山岸は、警察が客室にこっそり仕掛けた盗聴器を発見し、新田を激しく糾弾します。ここまでは、シリーズを通して描かれる山岸のままです。

ですが、数ページ後、警察は人を疑い犯行を未然に防ぐのが仕事、ということに一定の理解を示します。これは過去のシリーズにおいて自らが危険な目にあったり、思いもよらぬ人物が犯人だったという出来事に遭遇して、言わば「学んだ」からです。

ところがさらに数ページ後、また元に戻ったように、容疑者の荷物を改めようとする新田を激しく糾弾します。

が、即座に態度を軟化させ、荷物を改めるのを黙認し、「私はその場面を見たくない」というようなことを言い立ち去ります。

ええと、責任感の方はどちらへ行かれたのでしょうか。

荷物を改めるのを黙認するならするでしっかりその目で見届けてください。

 

いろいろぶれすぎです。

実際に山岸の心情がぶれているからではありますが、描写がぶつ切りになっていて心の機微を描けていません。

 

 

 

気になった点は以上です。

肝心の犯人やその動機も説得力に欠けるものでした。

作家先生はもう持てるものを出し尽くしたのか、私が飽きたのか、それはわかりませんが、好きな作家の好きなシリーズだけに残念だというのがまとめになります。