好きの反対

「好き」の反対は「嫌い」、ではなく「無関心」・・・。

 

よく聞く常套句です。

 

私はこの常套句がどうも苦手です。

 

 

仮に、小説家の卵が自らの作品を「嫌い、面白くない」と否定された場合を例にとります。

小説家の卵は「俺には才能がない」と落ち込むことでしょう。

 

お節介な友人はこう言います。

 

「落ち込む必要はない。好きの反対は無関心!嫌われても関心を持ってもらえたんだよ。」

 

違います。

残念ながら、卵の作品が一定のレベルに達していなかった、あるいは単に読者の肌に合わなかっただけです。

関心の有無は小説家の卵にとって問題ではないのです。

 

自らの作品が面白くないと否定されたのなら、「俺なんか才能がない」と落ち込んだらいいんだと思います。

 

落ち込んで、傷ついて、そこで生み出した次の作品を私は読ませてほしいし、落ち込む必要はないと洗脳されてつくった次の作品など読みたくない。

 

 

「嫌い」にもきちんと意味があるのです。

 

「好き」の反対は「嫌い」でいいんです。