「つけびの村」 高橋 ユキ

~2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。
犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……
それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。~

 

 

久々の投稿、読書感想です。

 

ここ何回かの投稿では、読んだ小説を酷評してきました。

今、手に取るあらゆる小説をおもしろいと感じる自信がなかったため、今回は趣向を変えてノンフィクションを読んでみることにしました。

 

ネタバレになりますが感想を一言で。

 

なにかしらの真実が待っていると思わせて最後まで引っ張りながら、特にオチなし。

 

そんなところです。

 

恒例の気になる点も、前2作に比べたら少なめですが、やはりありましたので列挙します。

 

筆者は当初、件の殺人事件というよりは、その発端となったとされる「夜這い」について取材をはじめます。曰く、かの地域に「夜這いの風習」があったかどうか確かめる、というものです。

あまりブログの中で「夜這い」という言葉を登場させるのもいい気はしないのですが、なぜ気になったか書きます。

 

私は当初、「夜這いの風習」というからには、ここで言う夜這いは、「男女の深夜の逢引、果ては情交」を指すものと考え読み進めました。

ところが、文脈からすると本作における夜這いとは、どうも強制わいせつを指しているようなのです。

実際に筆者は「夜這い(強姦)」と記述しています。

 

強制わいせつを「風習」と表現していいのでしょうか。

デリケートなトピックスです。慎重に記述していただきたい。

 

また、本題である殺人事件についてですが、筆者は、この村には何か隠された秘密があるのではないか、というスタンスで取材を、そして本作を進めます。しかし実際はどうも、隠された秘密が「あってはくれないか」という視点で書き進めているように感じてなりません。

 

結論としては特筆すべき秘密は何もありません。

 

なんとなく不気味さが漂う村、クローズドサークルであることはわかりました。

しかし、地方で生まれ育った私からすると、田舎ってそんなものです。くだらないゴシップはあるんです。

 

本作はいつの間にか、犯人には、反抗当時責任能力があったか否かが論点になってきます。

 

筆者ははっきりとは記述していませんが、妄想障害はあったのではないかという論調です。

そして判決は、被告は「妄想障害を患っている」のではなく「妄想をもっている」ものであり、責任能力ありとして、死刑です。

筆者はそこでもはっきりと書きませんが、犯行当時から犯人は妄想障害だったのではないかとして疑問をさり気なく書きます。

 

ですが、筆者は本編最後で、犯人に対してきちんと反省してほしい、と結びます。

長々と取材を続け、障害と呼べるだけの疾患があったと結論づけながら極刑については同調している。

筆者の立場がわかりません。

 

本作は当初、ウェブの有料記事としてかなりの反響があったとのことですが、おそらく課金した人は最後まで何かあるんじゃないかと期待して読み進め、何もなかったことにがっかりしたんじゃないでしょうか。

 

作中にはインタールード的に、筆者のライター生活の芽が出ない苦しみなども出てきますが、それが結果、本を、そして記事を売るために、「本作はエンディングまでに何かある」と読者をミスリードしたことを浮き彫りにしたような気がしました。

 

また、筆者はノンフィクションのトレンドやスタイルについて思うことを書いていますが、肝心の自身の作品の成熟度はそれほどではない。

まずは、トレンド云々ではなく、しっかりとした、破綻のない、そして自身が書きたいと思うものを書いてほしい、そんなことを思いました。