してあげる

小学生の道徳の時間だったと思います。

その日の題材は「親切」についてでした。

 

教師は言います。

「みんながこれまでに、人に、してあげた親切を書いてみて。」

当時私は小学生ながらこの問いかけに疑問を抱きました。

 

「して『あげた』?」

 

単なる授業の題材です。

そこまて神経質になる必要はありません。

しかしながら私は引っかかりました。

「親切」とは、して「あげる」ものではありません。

誰かが困っている、あるいはこうしたら誰かの役に立つ、そういう思いにかられ、対象者に寄り添って自然に行う行為なのです。

けっして「して『あげる』」ものではないのです。

 

とはいえ、やらぬ善よりやる偽善。

自分の心の中だけなら、「して『あげた』」と思うのもありなのかもしれません。

ですが、あくまで心の中だけです。

「して『あげた』」その相手からは、ほとんどの場合お礼はありません。

そうです。

親切は何らかの見返りが約束されたものでもないのです。

 

 

その授業は、クラス中のみんなが「私は◯◯をしてあげた。」という発言を繰り返す、私にとっては拷問のような時間でした。

 

月並みですが、そんな授業を行うのは、やめてあげてほしいものです。