美しいということ

先日、以下の記事でとあるバンドを批判しました。

 

 

音楽や絵画、その他芸術は、おおよそ美しくなければなりません。

美しさを表現するということは難しいことで、誰もができることではありません。

ですから、少なくとも「自分はまだ未熟だが、こんな作品が美しい、かっこいいと思っており、現状できる精一杯を表現したのがこれなんだ」、と言えるものでなければなりません。

 

美しさとは、別にきれいなハーモニーや印象派風の滑らで高貴な絵である必要はありません。ときに、工事現場の騒音がグルーヴィに聞こえたり、偶然にじんだ墨汁の染みが静謐さを感じたり、形は様々です。

 

必要なのは、自分が思う美を、作品に込めることなのです。

 

長髪のギタリストがギターを弾いている姿がかっこよくて、ギターを買ってみた。

入口はそれでもいいでしょう。そして趣味で楽しむだけならそれでもいいでしょう。

 

ですが、作品として世に出すのであれば、世に評価を問うのであればそれだけではいけません。

そこには、先述の自分が思う美を込めなければならないのです。

中には感性だけでそれができる人もいます。

ですがそれはまれ。

凡人は惜しみない努力をしなければなりません。

美しさの欠如は、ばれるのです。

 

美しいということ。

それは、簡単なことではありません。

美しさの裏には、積み重ねられた泥くさい努力があるのです。