誰がために歌はある

私は以前から、歌手が楽しそうに、気持ちよさそうに歌うことに抵抗を覚えます。

 

好きな音楽を体いっぱいに味わって、力いっぱいに歌う。

それはたいそう楽しいでしょう気持ちいいでしょう。

 

ですが、それが出し物である以上私は、演者である歌手には楽しそうにしてほしくないのです。

 

そうです。

 

楽しむのはこちら、聴き手なのです。

 

この理由で、私はディーバ系フェイク山盛りの歌唱が受け付けられません。

以前も書きましたが、単なる享楽的な、何の効果もないヒーカップの連続も受け付けられません。

感情を込めるのはいいですが、気持ちよさの味わいは内にしまっていただきたい。

一歩間違えればそれは、表現をおざなりにした、怠惰です。

 

自分が楽しくないのに人を楽しませることができるはずがない。

そんな意見も聞こえてきそうですが、そんなことはありません。

 

まずは、力いっぱい目いっぱいの技術でもって歌う。

 

その歌の終わりでもしかしたら、思わずこぼれる自らの笑顔に出会えるかもしれません。

 

 

 

 

桜-cherry blossom-

桜が満開です。

 

この時期になると思い出すことがあります。

 

それが、タイトルの「桜-cherry blossom-」です。

 

 

これはとある私の古い友人がつくった曲のタイトルです。

音楽や文章など、好きな世界では妥協したくないし嘘をつきたくない私ですからはっきり言います。

とんでもなくださいタイトルです。

私の美意識で選択した言葉ではない、ということをまずお伝えしたいと思います。

 

解説するのも野暮ですがあえて言うと、「桜」も「cherry blossom」も王道のど真ん中すぎる言葉で、その2つが並ぶとおなかいっぱいなのです。

メインディッシュのプレートが牛肉と豚肉のみなのです。

彩りとなる野菜もないまま肉のみなのです。

おまけにそのメインディッシュを臆面もなくつなぐ「-(ハイフン)」。

これの使い方が輪をかけてださい。

 

対比する意味でいいタイトルを例として挙げましょう。

 

「sweet revenge」。

 

言わずと知れた、坂本龍一さんのアルバムのタイトルです。同名の曲も収録されています。

この「sweet revenge」。

先述の例で行くと「sweet 」は王道ど真ん中の「肉」と言えるでしょう。

そして「revenge」。こちらは本来の意味は「復讐」であり、王道に対する「邪道」と言える言葉です。その王道と邪道が絡み合って、芳醇な魅力、引きが醸成されているのです。

ただしこれは、「revenge」という言葉が「復讐」という本来の意味しか持たずまだまだ物騒な言葉だった1994年発売当時だからこそ成り立つ言葉で、昨今の「もう一度チャレンジする」という誤用が本来の意味にとってかわりポピュラーになってしまった現在においては成立しません。

「sweet 」も「revenge」も王道になってしまったのですから。

 

話は「桜-cherry blossom-」に戻ります。

このタイトルの曲をつくった友人はその後心を病みました。

一方私は当時からこのタイトルが受け入れられなくて、別の知り合いに意見を求めました。

私なりに真摯にそのタイトルのことを考え悩んだのです。

するとその知り合いも私と同意見で酷評し、こう言いました。

「そのタイトルをつけてしまうような人だから病んでしまうんだよ。」と。

これはなかなかに危険な発言ですが、私は首肯してしまいました。

 

私もその意見を求めた知り合いも、その友人の人間性をとやかく言うつもりはありません。

ですが、気恥ずかしい言い方になりますが同じアマチュアクリエイターの端くれとしては、そのタイトルを認めることはできないし、そのタイトルを平気でつけてしまう感性を受け入れることはできません。

 

 

長くなりました。

 

来年も再来年も、桜の時期に同じようにこのタイトルのことを思い出すでしょう。

その友人がつくったもう1曲のタイトル、「sweet world」とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

鼻中隔側弯症 ⑥ 再処置

⑤はこちらです。

 

 

 

右の鼻に再設置されたスポンジを除去する日です。

 

予約は15時からでしたので、その日は14時すぎまで仕事をして早退しクリニックに向かいました。この時点では変わらず、満足に水も飲めず微熱もありつらい状況が続きます。

 

クリニック到着。

受付を済ませた後、前回は大量の出血がありましたので今回は手術着に着替えさせてもらいました。

 

そして定刻を迎えます。

 

 

医師が、気持ち前回よりもゆっくりとスポンジを除去。

 

 

今回は出血はありませんでした。

 

そして前回同様、右の鼻からもクリニックのオキシドール系のにおいを感じました。

 

そして、吸引やその他の処置を行い本日の治療は完了。

 

不完全ながらもようやく一週間ぶりに鼻呼吸ができました。

 

ただ、術後のむくみがかなりあるため、鼻呼吸はまだ術前のレベルにも戻っていません。

とは言えこの時点で水が普通に飲めるようになったし喋ることもできるようになりました。

相対的に体の軽さを覚えた私はそのまま職場に戻り夜遅くまで残業をしました。

 

残業がつらくないと感じたのはおそらく初めてです。

頭も回るようになってきました。

 

 

そこからは、頭痛は続くものの体調は少しずつ戻っていきました。

しかしながら、気になることがあります。

それは、嗅覚がほぼないことです。

尾籠な話ですがトイレのにおいも感じ取ることができません。

さらには、嗅覚に連動しているのでしょうが、味覚も通常の半分ほどしかなくなってしまっています。

 

そんな状態ではありましたが、スポンジの完全除去から1週間。

経過観察で通院。

そこで鼻腔内に残していた綿も除去し、晴れて体から異物はなくなりました。

 

やはりまだむくみがひどいため鼻呼吸の具合は十分ではありませんし、しばらくは週に1度の通院が続きますがこれでひと段落。

 

2週間ほどの密度の濃い旅でした。

 

一連の治療のつらさはだいたいおわかりいただけたかと思うのですが、読んでくださった皆さんが関心があるのは、実際のところ術後どうなったのか、効果はあったのか、やってよかったのかやらなければよかったのか、といったところだと思います。

そのあたりは1か月、2か月と長期的な経過観察が必要でしょう。

時間をおいてまた書いてみたいと思います。

 

ひとまず連載は終了です。

 

 

 

鼻中隔側弯症 ⑤ 再処置まで

④はこちらです。

 

 

 

 

手術を経て3日後、スポンジの除去、大量の出血、そして再度右の鼻のみにスポンジ再設置したところまで前回書きました。

方針としてはさらに3日後に改めて右の鼻のスポンジを除去するというものです。

 

大量の出血、止血のための熱処理、我が血にむせるなどボロボロになって帰宅。

 

しかし、左の鼻はスポンジがとれました。術後のむくみのためか、全く十分ではありませんが、空気が通るのがわかります。

が、少しは進んだと自分を納得させたのもつかの間、左の鼻もほぼ通らなくなりました。

右の鼻に詰め込んだスポンジが疑似副鼻腔炎のような状態を作り出したためのようです。結果、昨日までと同じように満足に水も飲めない状態は変わりません。

さらには頭痛、だるさは術後から変わらずあり、歩くのもつらい状態です。

 

問題は仕事です。

ここまで今回の手術で2日休んだこともあり、もうそうそう休めません。なによりすべきことが山積みです。

 

次の日、無理を押して出勤しました。

左の鼻はほぼ通っていません。

先述の症状でほぼ頭は働かず、いつもの1/10くらいのイメージです。

それでもどうにか最低限の仕事を進めたのですが、そのとき、左の鼻が完全にふさがっていることに気づきました。

いわば、スポンジを設置しているのと同じ状態です。

私は軽くパニックになるとともに、早退してクリニックに行くことにしました。

 

クリニック到着。

医師に診てもらいます。

すると、鼻腔に設置していた綿が落ちてきて鼻の気道をふさいでいたとのこと。

さすがのついてなさに落ち込みます。

おまけにその綿を除去してもらってもほぼほぼ左も通気はありません。

 

翌日はたまたま祝日で、家で静養です。

とは言っても苦しいので静養には全くならないんですけどね。

 

そして翌日、問題の、再度のスポンジ除去の日です。

 

 

 

つづく

鼻中隔側弯症 ④ 術後処置

③はこちらです。

 

 

 

手術から3日後。

その3日間はろくに眠れもせず、水を飲むこともできず、精神的に削られる生き地獄のような日々でした。

 

ですがそれも、今日鼻のスポンジを抜き取れば一段落です。

この日をどれだけ待ったことか!

 

病院に到着、診察室から私の名前が呼ばれます。

 

医師は、「お疲れさまでした、一気にぬきとります。」と言い両の鼻のスポンジを抜き取ります。

 

本当に、この瞬間をどれほど待ち侘びたかわかりません。

 

私の両の鼻はしっかりと空気を吸い込みました。病院特有のにおいなのでしょう、つーんとするオキシドール系のにおいも感じ取りました。

 

 

 

数秒間だけ。

 

 

 

次の瞬間、右の鼻から大量に出血がありました。医師いわく年に一人いるかいないかの症状とのこと。

 

血は止まりません。

私の黄色いネルシャツは真っ赤に染まりました。

 

 

そこで最も聞きたくない台詞を医師は口にしました。

 

「もう一回スポンジを入れます。」

 

これには私は激しく反対しました。

もうあの地獄を味わうのはまっぴらごめんです。

さらには仕事もそうそう休めないので、あの状態を受け入れるわけにはいかなかったのです。

そこで私は医師に提案しました。

「少し時間を置いて、もう一度試してみたいです。」と。

医師は悩んだ挙げ句「・・・、やってみますか。」と同意してくれました。

そして1時間後の為に再度スポンジを右の鼻に差し込みます。

1時間の我慢です。

私は鼻を押さえながら個室で幸運を祈りながら待ちました。

 

そして1時間後。

改めてスポンジを抜き取ります。

 

すると・・・、やはり血は止まりません。

 

医師は方針転換をし、患部を焼いて止血を試みます。

麻酔を打っているとはいえ痛みと苦しさが私を襲います。

医師は溢れ出る血を吸引しながらも止血を続けます。

私はといえば、鼻から、そして喉に回った血にむせながら、文字どおり涙を流して耐え忍びます。

私の視界には吸引した血が落ちていく真っ赤に染まる透明チューブ。

これは我ながらグロテスクです。

 

10分余りの拷問の結果、血はやはり止まりませんでした。

医師曰く「患部はわかっているのですが、血圧が高くなっていて出血が止まりません。」

それはそうでしょう、10分余りの拷問を穏やかな気持ちで受け入れることのできる人などいません。普段は低血圧の私ですが、興奮状態になり血圧が高まったのでしょう。

 

 

その日の結論は、右だけ再度スポンジの設置。左はスポンジなし。

両方の鼻にスポンジという最悪の事態は免れましたが、スポンジのない左も右側から圧迫されてかほとんど息はできません。

再度右のスポンジの除去を試みるのは3日後となりました。

 

 

 

つづく