どうでもいいこと20220909

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投資がどうのこうの

 

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失礼な親戚

 

小雨

 

何指に指輪をしているか

 

キヨシ感激という見出し

 

Twitterのいろいろな機能

 

月に洋服代にいくらかけるか

 

わからせようとしすぎる番組

 

セントフォースの男性の有無

 

カットボールチャンネル

 

サッカー中継における運動量という指標

 

サッカー中継における身体能力という指標

 

〇年で〇億円借金返済

 

明日につながる1点

 

二十歳になってお酒を飲んでみた感想

 

成人年齢

 

疲れがたまってますね

 

バキバキですよ

 

キレッキレ

 

物知り博士

 

漠然とした閉塞感

 

美尻

 

蒸留酒は飲めるんですよ

 

醸造酒しか飲めないんですよ

 

 

 

 

 

 

 

 

「見えない轍」 鏑木 蓮

最初に大前提を書きます。

私は読書する際は図書館で借りたりはせず、あるいは人に借りたりはぜず、はたまた古本ではなく新品を買っています。

そのうえで、言わんとすることをご斟酌ください。

 

 

 

ようやく読み終わりました。

 

読み始めたのが8/22です。

 

読了に要した時間約17日。

 

私は通常だと、小説は3,4日で読み終わります。

(逆にそれ以上かかる作品は、読了を断念するケースもあります。)

 

この17日要したというのが全てでしょう。

何も共感できるものがない作品でした。

 

いつも書いていることですが、荒唐無稽でもいいんです。

「読ませる」作家は荒唐無稽でも読ませるんです。

 

気になったところを列挙します。

 

舞台は京都です。

登場人物はみな関西弁で話します。

主人公は話しません。

→ええと、なぜですか。

敬語だからかと思いきや奥さんとリラックスしているときも標準語です。

なぜですか。東京から移住したんですか?東京の大学で出会ったからですか?

そういうディテール、リアリティも世界観に浸るためにはとても大事です。

 

「慶太郎(主人公の心療内科医)が薬を処方することは珍しい」

→ええと、本当にこういう心療内科医はいるのでしょうか。

もちろん私は心療内科医界隈、業界は全く知りませんが、もし、そういう心療内科医がある程度いるなら、「慶太郎は薬を処方しないことも珍しくない」、あるいは「慶太郎は、安易に薬を処方しないことを旨としている」、その程度ではないでしょうか。

これがリアリティなのでしょうか。

 

ところどころ誰のセリフかわからない会話が出てきます。

慶太郎が友人の恭一に「俺を信頼しているんだろう?」と聞かれた場面です。

 

「もちろん、そうだ」

慶太郎は、コーヒーを啜ると、

「ただ、うっかり八兵衛のところがあるからな」

と付け加えたが、譬えの古さに吹き出してしまった。

 

→ええと、吹き出したのは慶太郎ですか?

それならば「譬えの古さに自分で吹き出してしまった。」ではないでしょうか・・・。

この書き方だと唐突に恭一主観になって恭一が唐突に吹き出したよう見えるのですが・・・。

 

被害者の家の実況検分にて。

慶太郎は~八冊の大学ノートを全て確かめてみた~ムーミンに関する関する文言もなかった。

→ええと、被害者の家の中のわずかな時間で三年分の日誌が書いてある八冊の大学ノートをどうやって見たんでしょう、熱心に推理しながら。

しかもその後、じっくり大学ノートを見たらたくさんムーミンに関する記述を発見しましたよね?であれば最初の「ムーミンに関する文言もなかった」という記述はいらないですよね。

 

地の文がうっかりしてどうするんでしょうか・・・。

 

 

以上が、気になったことのごく一部です。

 

お気づきだと思うのですが、この記事で、私は話の内容に全く触れていません。内容が入ってこないのです。

なんとかかみ砕きながら読んだのですが、凡庸、リアリティ不足以外の感想が出てきません。

 

1点だけ内容について。

亡くなった被害者が、朝、線路わきから電車に向かって見ず知らずの人に対して手を振ります。

その理由が最後の方で書かれているのですが、全く腑に落ちません。

ということは、そんなことあるはずがない、という感想になります。

 

ドラえもんの例があります。

誰も「こんなロボットいるはずがない」、あるいは「どこでもドアなんて無理無理」なんていう人はいません。

みんな逆に「ドラえもんが欲しい!」、「どこでもドアが欲しい!」です。

どこでもドアが実現可能かどうかはどうでもいいのです。

欲しいと思わせる、違和感なく作品に没入させるのが作家の力なのです。

藤子先生の力なのです。

 

 

新宿鮫の例があります。

1作目では読むのが苦痛だったのですが、2作、3作と読み続けるうちに、作家の成長とともに主人公の鮫島も成長し、物語が豊かになった例です。私はいまだに同シリーズの新作を楽しみにしています。

 

しかし、この作家先生は20年近いキャリアを持つ還暦を過ぎたベテラン先生とのこと。

年齢による偏見を持ってはいけません。

しかし、大変失礼ですが、おそらく私が今後この作家先生の作品を読むことはないでしょう。

 

一羽二羽問題

ウサギの数え方。

 

1匹2匹ではありません。1頭2頭でもありません。

 

そうです。

 

1羽2羽です。

 

子供のころ、このことをあなたは、親やきょうだい、あるいは近所の物知り博士から我が物顔で聞かされたことでしょう。

 

その時あなたは、「えっ?そうなの?」と素直には驚かなかったはずです。

 

むしろ、少し嫌な気持ちになったはずです。

 

 

それでいいのです。

 

 

そのクイズは、推理力などを全く発揮できない、知っているか知らないかだけの体力勝負、著しく不平等なクイズです。

そしてこのクイズの美しくないところは、自らが答えられなかった悔しさを憂さ晴らしするために他人に同じように出題されがちなところにあります。

 

 

ですが、やはりそれでいいのです。

 

あなたの近所の物知り博士が輝くのはその一瞬です。

残念ながら長い人生における物知り博士のピークはその時なのです。

所詮近所の物知り博士なのです。

 

屈辱に耐えたあなたは堂々と、1匹2匹と数えてしまったあの日の自分を誇ってください。

 

 

とは言いつつ、うさぎを鳥に分類して、1羽2羽と数える日本語の奥ゆかしさ、まあまあいいと思います。

 

 

嫌い

すぐ人が嫌いになる。

 

正確ではない。

 

「嫌いから入る」が妥当か。

 

せっかくできた友人に対しても、愛着障害なのかひどいことを言ってしまう。

 

病的に感じる。

 

一方で、感情に任せて暴言を吐くことを忌み嫌っている自分もいる。

 

「こうしてはならない」、「こうでなけれなならない」、といった強迫観念も強い。

 

そのくせ自分には特に秀でたものがないことも知っている。

 

あるのは偏った病的な正義感のようなものだけだ。

 

 

また人を嫌いになった。

 

 

 

 

 

菜々緒さんと栞さん

昨日、名前についての記事を投稿しました。

 

 

 

 

そこでは書ききれなかった名前についての想いがあるので本日も書きます。

 

 

本日の例は、菜々緒(ナナオ)。

 

名字は今回は関係ありません。

 

私が好きなポイントは、1音節に1つの漢字を割り当てる贅沢な使い方です。

 

ともすれば名前は、1つの漢字で2音節を使いがちです。

そもそも日本語がそのパターンが多いということでしょう。

昨日の例の「福山雅治」もそうですよね。

 

「ナナオ」も、「七緒」、あるいは「七生」などと1つの漢字が2音節を担当するパターンもありながらの、「菜々緒」です。

他には佳緒理(カオリ)などがありますね。

贅沢です。

いいとこどりをする点で大トロみたいに感じられます。

 

 

次の例は、栞(シオリ)。

 

これは菜々緒と逆で、1つの漢字が3音節を担当するパターンです。

先述のとおり、1つの漢字で2音節が普通の漢字会において3音節を担当する屈強さ、そしてレア感!

字面にしたときのアンバランスさ、そして孤高感!

憧れます。

 

他には梓(アズサ)、太(フトシ)、一(ハジメ)なんていうのもありますね。

 

 

と、私が好きなパターンを挙げてきましたが、私はなんだかんだで王道や基本を愛する性格です。

 

したがって、「福山雅治」パターンがしっくりきますね。