あるはずのない音

何の変哲もない話ですが、電車の中、となりの人のイヤフォンから音がもれて聞こえてきたら不快です。

 

なぜ不快なのか。

 

そもそも電車は音をたてて走るものだし、ある程度のおしゃべりの声は電車の中では常に聞こえてくるものです。

ですが、おしゃべりはともかく、電車の走行音に文句を言う人はいないでしょう。前提として、電車の走行音は心理的に許容されているのです。

 

つまり、イヤフォンからもれてくる音は、本来もれて聞こえてくるはずがない、という思いに基づくから不快なのです。

 

イヤフォンからもれてくる音、その音量は微々たるものです。

ですが、私の耳まで届いてくるものではない、その固定観念があるが故に不快と感じるのです。

加えて、イヤフォンの主の他者への配慮、自分が他者に迷惑をかけているかもしれないという想像力のなさも不快の源だと言っていいでしょう。

 

私は無神経に音もれさせるイヤフォンの主たる彼らを許すことはありません。

ですが、彼らはいなくなることはありません。「そこにあるはずのない音」は同時に「消え去るはずもない音」なのです。

 

それを心の片隅に置いておくと、少し、ほんの少しはイヤフォンの彼らを許せるようになる、かもしれません。