握手のアンビバレンツ

筋金入りのプロレスファンの私ですが、以前からどうしても受け付けない、受け入れられないものがあります。

 

それは、「試合前の握手」です。

 

闘う前にそれぞれの健闘を、フェアプレーを誓い合う。

立派な心意気です。

藤波社長の「我々がやっているのは殺し合いじゃない!」という名言、或いは迷言も同じ精神でしょう。

 

確かにプロレスは殺し合いではないかもしれません。

しかし、プロレスとは闘いを見せるもの。

闘いの根源というのは相手を制すること、言わば殺すということです。

 

殺るか殺られるか。

つまるところは殺し合いなのです。

 

 

翻ってプロレスとは、今更言うまでもなく年間100試合を超える試合を全国各地で行う、ショーであり興行です。

そのためには相手を殺めてはいけないのは当然として、けがをさせてはいけないし、そんなことをしていたら業界から干されます。

 

ですが、かの昭和の巌流島、力道山木村政彦線を持ち出すまでもなく、なめられていたらいつシュートマッチをしかけられるかもしれない、そして実際に死亡事故も起きてしまう戦場なのです。

 

その、殺るか殺られるかの戦場において、隙だらけでのんきに握手なんてしていては命がいくつあっても足りないのです。

 

試合が終わって互いの健闘をたたえ合う、そんな気持ちになったのであればその時初めて握手はすればいい。

 

プロレスは、お互いの信頼関係がなければ成り立ちません。

そして、信頼関係があるのであれば、なおのこと握手などしてはいけないのです。

 

殴る蹴る、でもけがをさせない。

殺し合いではないが殺し合い。

信頼関係があるからこそ握手しない。

 

 

プロレスとは、そのようなアンビバレンツを生まれながらに孕んだ、愚か者には決してできない唯一無二のものなのです。