真夏の夜の弾き語り 後編

前編はこちらです。

 

 

 

私が偶然行き着いたギター弾き語りのチャンネル。

 

そのチャンネルは約4年間にわたり、平均して1日15本程度、通算15,000本の動画を公開していた、そして今なおそれを続けていることに気づいたところまで前編で書きました。

 

私は背筋にうすら寒いものを感じました。

しかし、これは驚きの序章でしかありませんでした。

 

私はこのチャンネルに2年ぶりにアクセスするに際し、チャンネル登録などはしていなかったため、それらしきワードでいろいろ検索し、ようやく新装開店したそのチャンネルにアクセスすることができました。

そこでの驚きは先述のとおりですが、私はそのチャンネルを見つける過程であきらかに見てしまったのです。

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

その彼が、他にも「同様の」チャンネルを開設しているのを。

 

 

 

 

 

彼自身の弾き語り風景がサムネになっているので間違いようがありません。

 

しかし私はその「同様の」チャンネルには目を向けませんでした。

 

いえ、正確ではありません。

目を向けることが、できませんでした。

なぜなら嫌な予感がしたからです。

 

その予感とは・・・。

 

そうです。

 

その「同様の」チャンネルは1つではなかったのです。

 

「いくつも」あったのです。

 

サムネを見ただけではチャンネルの概要、つまりは何本の動画がどのくらいのペースで公開されているかはわかりません。

ですが、弾き語りする対象の歌の「ミュージシャン単位」でチャンネルを開設していることはわかりました。

 

これ以上得体のしれないものが自分を取り囲む状況には耐えられそうにありません。

私は意を決しました。

 

 

YouTubeという大海の中に、「同様の」チャンネルが「いくつ」あるか、そしてその中に動画は「何本」、そして「どれくらいのペースで公開されているか」を調べることにしたのです。

 

調査方法は簡単です。

 

「弾き語り 吉田拓郎」などのように思いつくままに「弾き語り」に関連ワードをくっつけて検索するだけです。

 

自分でも怖くなったのですが、先述の「弾き語り 吉田拓郎」を例にとると、どう考えてもヒットする動画は無限にありそうです。

ですが、私も粘りました。「弾き語り 吉田拓郎」の検索結果を「これ以上の動画はありません」という表示が出るまで、つまりこの世に存在する「弾き語り 吉田拓郎」についての動画を全て調べたのです。

 

そのようにして可能性のありそうなワードで検索を続け、気づいたら夜は明けていました。

 

調査結果を書きます。

 

 

全開設チャンネル数:59

全チャンネル登録者数:156

全公開動画数:7,491

全再生回数:73,234

1動画当たりの再生回数:9.78

1日当たりの公開動画数:約11

 

 

これが一晩かけて得られた私の調査結果です。

もうなにも説明は不要でしょう。

 

ですが、最後に1つだけ。

「1日当たりの公開動画数:約11」

常軌を逸した数であるに変わりはないのですが、これまでのペースからだいぶ落ちていることがわかります。

 

ここが最大の恐怖と言っていいでしょう。

 

私は今回の調査で、「まさかこの歌手の曲は弾き語りしていないだろう」というミュージシャンについてもチャンネルを開設しているのを見つけていました。

 

つまり・・・。

 

恐ろしいことです。

 

 

 

私が調査で見つけた彼のチャンネルは、「すべてではない」。

 

 

おそらくはほんの一部です。

私が見つけることができなかったチャンネルは他にもかなりの数があります。

そしてそれらを合計すると・・・。

 

恐ろしいことです。

 

これは私の勘です。

しかし、足掛け4年にわたり彼のチャンネルの謦咳に接してきた私の勘です。

 

 

彼が何を目指しているのか。

おそらく続きですが、特に何も目指してはいないでしょう。

思うがままに作品を公開する、それ自体が目的なのでしょう。

 

かたや、当の私はあれこれ理由をつけて己の作品に全力で専心しようとしていません。

 

かのチャンネルを見て感じたうすら寒いものの正体。

 

それは、芸術に希求する私こそが、全てを投げ打ってでもそうならなければならない、という強迫観念にも似た自責の念なのかもしれません。