コミュニケーションについてのシリーズ、後編です。
前編はこちらです。
かつて私が職場で人事部という部署に所属していたときの話です。
向かいの席に座る部下で、Iさんという女性がいました。
このIさんはコミュニケーションが全くできない人でした。
かく言う私もコミュニケーションは苦手で人のことを言えたものではありませんが、Iさんのそれは度を越していました。何を言っているか聞き取ることができず、想像で受け答えせざるを得ないことが多々ありました。
ですが、聞こえないくらいならまだましです。
ある日の朝。
職場に一番乗りをした私は、始業前にスマホでネットサーフィンをしてくつろいでいました。
ふと気づくと、二番乗りのIさんが目の前の席に座っていました。
思えば意識の彼方に「おはようございます」と聞こえたような気がしないでもありません。
ですが、彼女のあいさつに気づかなかった私はあいさつを返しませんでした。確かに毎朝Iさんは聞こえるか聞こえないかの声で「おはようございます」と言っています。おそらくその日のIさんはいつにもましてものすごく小さい声であいさつをしたのでしょう。
翌日から、Iさんはあいさつをしなくなりました。
自分があいさつをしても返されなかったということが「恥ずかしかった」のでしょう。
あいさつは義務ではありません。
ですが、おはようございますもなしにいきなり仕事の話を始めるのは不自然だし気持ち悪いです。そして私はいい大人に「あいさつはしましょう」とは、それこそ恥ずかしくて言えませんでした。
そんな気持ち悪い日が続き、私は一計を案じました。
入口のドアが開く音がしてIさんか出勤、入室する際に、スマホを触るのをやめ、前傾姿勢でパソコンを凝視するふりをすることにしたのです。つまりは、向かいの席のIさんと物理的な距離を縮め、より小さな声でのあいさつをしやすくしたのです。物理的な距離の縮小は、あいさつがない場合の気持ち悪さを増大させる効果もあります。
すると、私の狙いは功を奏し、Iさんはその日挨拶をしてくれました。
翌日からも私はこの作戦を毎朝実施しました。そしてIさんは聞こえるか聞こえないかの声で一応あいさつをしてくれるようになりました。
場面緘黙症というものがあります。
職場や学校など、特定の場面で言葉を発することができなくなる疾患です。疾患ですから、当然それを非難することはできませんし、するべきではありません。ですが、Iさんの場合は場面緘黙症というよりは極度のコミュニケーション下手と臆病さがもたらしたものだと思います。
私も再三書いてきたとおりコミュニケーションは苦手ですが、ある程度経験を積み気づきました。
恥ずかしがることはもっと恥ずかしいのです。
恥ずかしいのなら、恥ずかしがらないことがもっとも恥ずかしくないのです。