あなたはもう忘れたかしら

「私」に言いたい。

 

「あなた」は都会の絵の具に染まってなんかいません。

 

なぜ「私」に別れを告げたか。

 

「私」が「いいえ」ばかり言っているからです。

 

否定から入ってばかりいるから「あなた」は「私」にうんざりしたのです。

 

そういう意味では、「あなた」には都会で恋人なんてできていないので安心してください。

 

 

 

そして、また別の「私」に言いたい。

 

赤い手ぬぐいマフラーにして横町の風呂屋に行ったことを忘れる人はいませんよ。

 

 

 

 

 

あの夏の幻の名曲

ずっと探している、あの夏に聴いた幻の名曲があります。

 

私が大学に入りたての夏です。

 

近所のコンビニに入ると、得も言われぬ甘ったるい声の女性ボーカルの、得も言われぬ甘ったるい歌が流れてきました。

 

あっけにとられたのは私だけではありません。

 

レジのアルバイトの、おそらく高校2年生くらいのかわいらしい女の子もそうです。

彼女はその曲のあまりの甘ったるさに困った顔で、「店長なにこの曲~!」と、困惑の矛先を店長に向けます。

 

すると、こわもての店長は破顔一笑してこう言いました。

 

大石恵!」

 

居合わせた私は、ある種のセクハラではないかとすら思いました。

そのくらい甘ったるい、色っぽい歌唱だったのです。

 

 

大石恵

 

 

今となってはラルクアンシエルのメンバーの奥さんといった方がしっくりくるかもしれません。

 

大石恵の曲だというあの甘ったるい曲。

いったい何という曲なのでしょうか。

 

躍起になってCDを探しても入手できないし、YouTubeでも片っ端から聞いてみたのですが、あの甘ったるい曲は見つかりません。

 

あの夏に、私と女の子を困惑させた、そしてこわもての店長をにんまりさせたあの曲は一体。

 

どなたかご存じの方がいらっしゃったら、もしくはハイドさん、ぜひお教えください。

 

私はこれからも、あの曲を探し続けます。

だいじなこと20220911

よく考えること

 

あいさつにスランプなし

 

うそのつきかた

 

浴室の時間感覚

 

ブログを書くこと

 

どんなこともブログに書くこと

 

足裏に意識をもっていくこと

 

友達は百人できないこと

 

友達は百人いらないこと

 

出かける前に一分間椅子に座ること

 

白く塗る

 

白く塗り続ける

 

あきらめること

 

身の程を知ること

 

湿気は大敵

 

仕事は減らすもの

 

考えないこと

 

仕事は休むもの

 

毎日少しでも続けること

 

途切れても次の日から再開すること

 

さよならしたいとおもったらさよならすること

 

靴下に穴が空いていないか

 

生理的に無理

 

無理せず病院へ

 

決断しないこと

 

偏らないこと

 

見習うこと

 

忘れないこと

 

保湿

 

タオル(汗拭き用)

 

本を読むこと

 

動くこと

 

策を練ること

 

薬を飲むこと

 

静かにすること

 

趣味で頭をいっぱいにすること

 

忘れること

 

忘れられないこと

 

「天国の修羅たち」 深町 秋生

このブログを始めて以来40日ほど、数冊の本の感想を書いてきました。

 

その中で、この本は初の位置づけの本となります。

どんな位置づけかというと、もともと好きなシリーズで、読む前からある程度おもしろいであろうことがわかっていた本、というものです。

 

多少のネタバレがあります。

 

 

 

予想どおり、このブログで扱ってきた本の中では、ここまででダントツのナンバーワンと言っていいでしょう。

 

読了に要した時間が2日であることがそれを示しています。

 

ですがこの本、つまりはヘルドッグスシリーズの最終章とのことですが、この最終章はなくてよかったかと思います。

それだけに1冊目「ヘルドッグス 地獄の犬たち」は良かったと思います。

 

この作家、そしてシリーズの特徴として、グロテスクな描写が徹頭徹尾続きますが、本作はそこまでではありません。

(この作家のグロテスクな描写には必然性がありますし、いつも作家の「限界まで描く」という単なる悪趣味ではない執念のようなものを感じさせてくれます。)

 

警察官がスパイとして組員に身をやつしヤクザに乗り込み、結果自らの意志で取り込まれ挙句の果てに自らが組長となる。

そして警察がその組を壊滅させるために選んだ手段が新たな警察官をスパイとして組に送り込む。

 

荒唐無稽と言えばそれまでです。

 

でも、この作家はそうは感じさせず読ませるんです。

それが作家の実力です。

 

先日以下の記事で、作品の荒唐無稽さがただそのまま出た良くない例として以下の記事を投稿しました。


この記事で私は、件の作家の作品を今後は読むことはないだろうと言いましたが、逆に本作「ヘルドッグス 地獄の犬たち」の作家深町さんの作品は今後も読むだろうと全く逆の感想を抱かせてくれました。

 

ですが、本作の結末は、本作のみならずシリーズの結末として消化不良です。

出月はあれで救われたかもしれませんが、そこは読者の胸の中で想像させるものにしてほしかった。

出月、あるいは兼高は、今も世界のどこかを放浪している、くらいの想像力の余地を持たせてくれてもよかったのではないでしょうか。

1冊目の世界観に浸りたい人は、本作は読まない、という選択肢もいいかもしれません。前向きな選択として。

 

また、小説やドラマでよくある、エピローグでの「〇年後・・・」という描写。

あれが私はどうも苦手なのです。

 

本作では「20年後」というものでした。

主人公の女性刑事、真里亜が老眼鏡をかける描写が出てきます。

どうも安易さを感じます。

地続きの時系列で語って、結んでほしいのです。

 

 

このブログでは恒例の、気になる箇所もありました。

 

主人公の真里亜、そして樺島と町本が、居酒屋で酒を飲むシーンです。

真里亜は町本にカマをかけ「この野郎!」と叫びテーブルをたたきます。

あえての行動ですが、「この野郎!」は真里亜のキャラクターと違いすぎて不自然でした。そこは「町本さん!」で十分意図は伝わったはずです。

 

その場面では、真里亜が見事な洞察力で町本の正体を見抜きます。ここが本作で私が一番引き込まれたシーンです。

ここまでくれば真里亜はその後もっと活躍してもいいようなものですが、主人公としての見せ場はここまで。

 

また、真里亜の相棒の樺島は、実は真里亜を監視する上層部からのスパイだったわけですが、彼はいつから上層部とつながっていたのでしょうか。最初からだとしても、いち刑事の真里亜がまだ何も知る前、街のチンピラを追いかけているときからペアを組まされるのは不自然です。

 

でも気になったのはこのくらいでした。

 

 

ちょうどジャニーズのタレントが主演でヘルドッグスが映画化されるとのことで、それに合わせて本作が書かれたことは容易にわかりました。

その映画のキャスティングについても少しだけ。

私はヘルドッグスを読んだ際は、ラスボスの十朱のビジュアルを、頭の中でGACKTさんに設定して読み進めました。クールな天才のイメージはGACKTさんの「ビジュアル」になじんだのです(GACKTさん「そのもの」のイメージではなく「ビジュアル」です)。

実際の映画ではMIYAVIさんとのことで、当たらずとも遠からず。

 

 

最後に、本当であれば本作は、作家自身の望むタイミング、動機で描いてほしかった。

そうすればきっともっと深みのある作品になったはず。

あるいは「書かない」という選択肢もあったはず。

そのあたりの消化不良感は、これからも読むであろう作家の次作に期待したいところです。

 

 

おまけです。

私は本作の作家、深町秋生さんのデビュー作「果てしなき渇き」を発売当時に読みました。ですが、全く入り込めずヘルドッグスシリーズまで敬遠していました。

 

作家は成長します。

 

 

 

電気代ヒステリック

 

節約することは大事ですし、環境問題も重要です。

 

したがって、電気代を気にすることはおかしなことではありません。

 

しかし、なぜ電気代

 

 

「ばかり」

 

 

なのでしょうか。

 

 

たしかにガス代、水道代、電話代・・・、皆さん気にしています。

 

でも、周りを見てみてください。

 

電気代に対する気の遣い方は、ほかに対するそれを圧倒的に凌駕していませんか?

使い終わったトースターのコンセントはすぐ抜き取らないといけないし、冷蔵庫を開けっ放しにしようものなら親兄弟が飛んできて叱られます。

 

また、よく話題に上るのが、電気代にとってエアコンはつけっぱなしがいいのか、こまめにオフにする方がいいのかという議論です。

 

これはつけっぱなしの方がいいという論調の方が強いようです。

 

ですがいつかの夏、こまめにオフにする道を選んだ私の電気代は、通常より15パーセントほど低いものでした。

 

正しい検証ができなくなるほどに、なぜか皆電気代にはヒステリックになってしまうのです。

私なら、電気代ではなく、くだらない飲み会、すぐ毛玉になる服、通いもしないスポーツジムの会費などについてまず考えます。

 

ここはひとつ、椎名林檎さんに「電気代ヒステリック」という曲を作ってほしいものです。

 

使うべきは使う、そして、本当に必要なものは何かという追及が、買い物上手にもなり結果的に最大の節約になります。そして、本当に必要なものに囲まれた暮らしは何か愛おしさを伴うものです。

 

ただし、いらないものを排除!撤廃!なんてことばかりにやっきになるのも不健康です。

いらないものも重要、というのがこのブログでのクリシェということになります。