他人の夢に厳しい男 (後編)

Wは他人の夢に厳しい。

お笑い芸人になることを目指していた友人が一般企業に就職をするという話を聞いて、蛇蝎のごとく忌み嫌っていた。自分にはできない夢を追う他人がうらやましいから、その夢をあきらめてほしくなかったのだろう。

 

 

時は流れて、大学も4年となり、私は就職活動もせずに今後のことで悩んでいた。

 

私は出身が地方で、両親には地元に帰ってくるように言われていたが、私は地元が大嫌いだった。そして東京が好きだった。そして東京で音楽を作ることが自分にとっては重要だった。

 

自分というものが確立されていない私はひどく悩んだ状態でWに会った。

Wは私に言った。

「どうも流されているように見える。自分で自分の人生をコントロールできていない。オレだったら親を説得して自分のやりたいようにやる。」

 

そのとおりだ。

 

 

しばらくしてまたWに会った。

私はバカにされるかもしれないと思いながらも自分の意志をWに話した。

「オレは東京で暮らして東京に刺激を受けながら音楽を作りたい」と。

青臭いが本心だ。

 

一瞬の沈黙のうちWは言った。

 

 

「コントロールできてるじゃん。」

 

 

その言葉である程度自信をつけた私は、親とも話し、東京で暮らしながら働き、今も音楽を作り続けている。

 

 

 

就職して数年がたった時、久しく会っていなかったWから電話がかかってきた。

「何してんの?」と。

 

私はピンときた。

定期的に行われる、Wの「他人の夢チェック」だと。

私はあえてこう答えた。

 

「働いてるよ。」

 

Wは、「ふーん」と見下したように言って、二言三言話して電話は終わった。

Wが私に期待していたのは「音楽を作っている」という言葉だということはすぐわかったが、私は大学時代より多少成長していた。

重要なのはWを満足させることではなく、自分が満足することだ。

 

それはむしろWに教わったことだ。

 

そこからさらに時は流れた。

 

私は音楽を作り続け、とあるコンテストの入選の常連のようなものにもなり、ほんの少しは成果を上げた。

 

Wとはすっかりご無沙汰だったが、私はWの先述の見下したような「ふーん」がずっと頭の中に残っていた。

そしてWに久々にメールを出してコンテストのことなどを伝えた。

 

すると数日後、Wから

「作曲続けてたんだね。今度会おうよ。」という返事が来た。

 

だが私は返信をしなかったし会ってもいない。

Wが私に期待しているのは「音楽を作り続けながら悪戦苦闘すること」で、私が私に期待しているのは「いい曲を作ること」。

 

その違いは大きいし、私の暮らし、そして音楽を作ることは見世物ではない。

私は音楽を作り続けることに迷いはないし、私が満足したいから音楽を作っている。

 

Wには感謝しているが、これ以上Wの「他人の夢チェック」に付き合うのは徒労感でしかない。

そう実感した私は、悪いと思いつつもWの電話番号やメールアドレスを拒否設定にした。

 

それが、人に流されず自分でコントロールした自分の意志だ。

 

 

そしてそれは、Wに教わったことだ。