子どもの頃、親が買ってくる洋服は深い青色がほとんどだった。

子どもだった私はなんの感慨もなくそれらの服を着ていた。

当たり前のルーティーンとしてそれらの服を着ていた。

 

その後、大人になり自分で服を買うようになった。

気づくと私は深い青の服を買っていた。

私にとっては、洋服は深い青だったのだ。

 

だが私は赤やピンク、水色などの明るい色が好きだった。

時とともにその嗜好に自覚的になった私は、明るい色の洋服を買うようになった。

そしていろいろな色やデザインの洋服を買うようになった。

それまで単なるルーティーンだった洋服選びが楽しいということに気づいた。

 

いろいろな洋服を試した私は、深い青の洋服を買うようになった。

私はこの色が好きだった。

 

親から与えられたのではない、自ら獲得した青だった。

 

 

 

 

 

 

どれだけ涙を流せばあなたを忘れられるだろう

言わずと知れた、エックスジャパンの代表曲、「RUSTY NAIL」の一節です。

 

私は正直言ってエックスジャパンは好きではないし、CDも一枚も持っていません。

ですが、このRUSTY NAILだけはどういうわけか好きなんです。

ここ最近改めてこの曲が好きになったのでコード進行などを分析してみましたが、その構成は至極シンプル。

 

では、詞はどうでしょうか。

 

私は以前も以下の記事で書いたとおり、

 

 

音楽を聴いていてボーカルは聴きますが、歌詞の意味は入ってきません。どんなストーリー、世界なのか全く認識できないのです。

ですのでこの曲がどんなことを歌っているのかいまだもってわからないし、コード進行を分析したようには詞の世界を分析しようとは思いません。しようとしても意味を認識できないので分析できないのです。

 

そこでサビの「どれだけ涙を流せばあなたを忘れられるだろう」です。

きっと悲しい恋の世界なのでしょう。それくらいは想像がつきます。

しかし残念ながら、その他の箇所は、やはり私にはその意味を認識することができません。

ですが、そのサウンドとあいまって、全体のストーリー、意味はわからなくてもグサッと突き刺さるのです。そしてそれは私自身の失恋の思い出などとは全く関係ありません。理屈を超えて突き刺さることがある、それが音楽の不思議なところです。

 

 

電気グルーヴに「ノイノイノイ」という曲があります。

歌詞はこんな感じです。

 

「ソワマーパークーマイチョルグースー

ソネ ジョワンブイ トワインコトゥエイン〜」

 

もうお気づきでしょう。

 

架空の、でたらめな言語でできた歌詞なのです。電気グルーヴらしいと言えばらしい、試みとしては面白い曲です。

ですが私はこの曲が好きにはなれません。鼻につくとすら感じます。

彼らのこの試みは、彼らが兼ねてからよく言う「歌詞に意味なんかなくていい」という考え方を現したものです。

ですが、意味がなくてもいいからと言っても、ただ思いつくままに言葉を羅列すればいいかというとそういうものではありません。

この曲は言葉の羅列のチョイスに失敗しているのです。

 

電気グルーヴのファンでありエックスジャパンに興味のない私ですが、この「ノイノイノイ」、「RUSTY NAIL」、この2曲については大差で後者の勝利です。

 

「ドレダケナミダヲ~」、そして「ソワマーパークー~」どちらも私にとっては子音と母音の繰り返し、羅列です。意味はわかりません。

ですが、その羅列が意味を超えてグサッと突き刺さることがある、歌というのはそういうものなのです。

 

 

 

合唱コンクールの謎

私の母校の中学校には、毎年夏に合唱コンクールというものがありました。

 

合唱コンクール自体はよくあるイベントだと思いますが、どういうわけか私の母校は合唱に力を入れていて、合唱コンクールは皆が異様に熱くなって取り組む一大イベントという趣でした。

ひねくれ者の私が一歩も二歩も引いてその光景を見ていたのは言うまでもありません。

 

さてその合唱コンクールですが、例年1年生から3年生までのクラス対抗で行われ、学年ごとの課題曲と自由曲の計2曲を歌います。ということは、3年間の中学生活の中で歌うのは6曲、ということになります。

そして、その3年時の自由曲、これがポイントです。

なぜか、3年時の自由曲は戦争などをモチーフにした勢いのある曲が選ばれる風潮があり、先述のように引いて見ていた私ですら、3年生の先輩が歌うそれらの曲は少々かっこよく感じたものです。

 

そんな合唱コンクールですが、数年前、なんとなく当時のことに思いをはせたときがありました。

そこで問題は起きます。

 

歌ったのは6曲。

 

1年生時の課題曲、自由曲、2年生時の課題曲、自由曲、3年生時の・・・。

そうです。

私は6曲のうち、「もっともかっこいい」花形の3年生時の自由曲が何だったか忘れていたのです。

 

それでも候補は2,3曲浮かんだので、すぐさま私は得意のYouTubeでそれらの曲を試聴したのですが、どれもしっくりきません。これは気持ち悪い。

その気持ち悪さを抱え一年余り、私はとうとう違法捜査をすることに決めました。しばらく連絡を取っていなかった幼馴染にずばり聞いてみることにしたのです。

実はこの捜査方法はとうの昔に思いついてはいました。しかし弊害があって使うのにためらいがあったのです。

その弊害とは、些細なことですが、幼馴染と触れ合うということは、イコール過去の未熟な自分と向かい合うという構図になってしまい、今のことで精一杯な私はどうにも辛くなってしまう、というものです。さらには、今の自分に満足していない自分には、きっと彼らはまぶしく映り、無駄に落ち込んでしまうであろうという弊害も容易に想像できました。

 

しかし、謎の6曲目、つまりは3年生時の自由曲を思い出せない気持ち悪さは増すばかりで、とうとう幼馴染への直接の質問、いわば司法取引に打って出たのです。

 

すると、そんな私の葛藤も知らない彼は、あっさりと「全く覚えていない。むしろよくそれ以外の曲を覚えていたね。」とのこと。

彼の言うとおりこんなことは覚えていない方が自然なのかもしれません。

そこで私は候補にリストアップした2曲の容疑者を彼に伝えました。

 

ひめゆりの塔か、名づけられた葉、のどっちかじゃないかと思うんだけど…。」

 

すると幼馴染は

 

「それだ!ひめゆりだ!」と。

 

容疑者のうちのひとつ、ひめゆりの塔が犯人だとすると、おそらく私はあまりの思い入れのなさに記憶の定着がいまひとつだったのかもしれません。原曲を聴いてもピンとこなかったのですから。

 

その思い入れのなさは何に起因するのか。

 

思えば、私は当時から音楽が好きで、ハーモニーについてはビートルズビーチボーイズの英才教育を受けて育ちましたから、中学校の合唱は正直言って子供だましにしか思えないし、そもそも音程がずれており全く感情移入できなかったのです。

さらに、女子は一律単なる裏声、男子は単なる低いだみ声を強要される中学校の合唱が、アンサンブルとしてのクオリティが著しく低く、音楽として興味が持てないばかりか不快なものでしかなかったのです。

 

もし、私の母校が力を入れているのが合唱コンクールではなく器楽コンクールだったとしたら・・・。

少なくとも音程に間違いはないでしょうから、あの夏の容疑者はすぐ出頭してくれたかもしれません。

 

 

 

 

 

 

「存在のすべてを」 塩田 武士

~平成3年に発生した誘拐事件から30年。当時警察担当だった新聞記者の門田は、旧知の刑事の死をきっかけに被害男児の「今」を知る。再取材を重ねた結果、ある写実画家の存在が浮かび上がる。質感なき時代に「実」を見つめる者たち──圧巻の結末に心打たれる、『罪の声』に並び立つ新たなる代表作。~

 

何作か映画化もされている人気作家の最新作です。

ネタバレも含みます。

 

 

私は作家の作品は、代表作の「罪の声」をはじめ何作か読みましたが、その評価としては、まあまあおもしろいが、まあまあを突き抜けるプラスαはなく、読む本がなければ読む、というものです。

 

本書は発売当初から評判も良く視野にも入っていたのですが、私はなかなか手に取ることができませんでした。

それにはわけがあります。

 

そうです。

 

過去の未解決事件を紐解きながら隠された真実に迫る人間ドラマ、という構図が代表作の「罪の声」に似ている、いえ、ほとんど同じだということです。

「罪の声」は、実際に新聞記者だったという作家のバックボーンを活かした力作です。

ですが、それから時を置かずして類似の設定。

この設定である程度の質の作品が生まれることはおそらく作家のファン、読者ならわかっていたはずです。そこが私は、いわゆる「置きにきた」と感じてしまったのです。

 

そして内容です。

過去を取材することで見えてくる真実に、取材者が戸惑い、翻弄される構造は「罪の声」と確かに似ています。いえ、同じと言っていいでしょう。

違っていたのは、主人公の亮のほのかな恋愛などが描かれており、物語が立体的になっていた、というところです。

単なる甘ったるい恋愛ものが苦手な私ですが、この恋愛パートは音楽が絡んでいたりして楽しく読めました。

思えば、作家の「雪の香り」という作品も本作同様過去の事件を紐解きながら織りなされる恋愛ものだったのですが、同作もまあまあ楽しんで読めました。

 

本作は、主人公の新聞記者門田(もんでん)、ヒロインと言っていいでしょう里穂、そして我々読者はエンディングでソフトランディングし救われますが、同じく主人公の亮は、実は最初から最後まで何ら変わらず絵を書き続け、息抜きに思い出の曲をピアノで弾き、また絵を描くという暮らしをずっとしています。

そして、里穂たちがたどり着いたのを「遅かったね」と言わんばかりに達観して出迎えますが、本作には妙などんでん返しは合わないような気もするのでそれでよかったのかもしれません。

やはり、まあまあ、ごく普通、といったところです。惹句にあるような「圧巻の結末」ではありません。

 

最後に、ほかの方のレビューを読んで一つ意見したいことがあります。

 

伏線回収がなされなかったエピソードとして、亮と同じく誘拐事件の被害者となった立花少年が、自身を誘拐した犯罪者集団に加担したらしき記述があります。

 

これは、私はきちんと意味があると思っています。

 

要するに、同じ誘拐被害者でも、立花は犯罪者になり、亮は結果的に貴彦、優美という美しい心を持った夫婦に養育され、美しい心を持った青年に成長しました。これは、貴彦、優美の美しい心を浮き彫りにさせるための対比ではないでしょうか。

 

 

近い将来、私は作家の次作を手に取るのでしょうか。

 

 

 

 

トーキョーストーリー

私が地方のシンガクコウに通っていたことは何度か書きました。

別に自慢でもなんでもありません。

そしてその高校で私は下から1番でした。地力がない上に努力もしないのだから当然の結果です。

 

 

進路を考えるときにこんなことがありました。

 

 

進路希望調査用紙に自らの志望校を書きます。

私は前述のとおりひどい成績だったのですが、いわゆる「いい大学」に行きたいという気持ちは人一倍強いものがありました。

私が書いた志望校は東京大学です。

これは、受けを狙ったわけでもないし、やけくそになったわけでもなく大真面目に書いたものであり、私にとっては当然のことでした。

 

その希望を受けて担任の教師と面談が行われます。

 

すると担任は言いました。

「君みたいなおとなしい生徒がこんな熱い気持ちを持っているとは驚いた。がんばれよ!」

そうです。その教師こそ熱い気持ちで私を応援してくれたのです。

 

 

そして問題の場面です。

 

別の日、職員室に用があった私は、とある数学教師に呼び止められこう言われました。

 

数学教師「お前東大行きたいんだってな。」

私「・・・、はい、成績が伸びれば行きたいです。」

数学教師クン「伸びれば?伸びればって水でもやれば成績が伸びんのか!」

私「・・・。」

 

私の志望を、数学教師チャンは一笑に付したばかりか、罵倒したのです。

 

私の「東京大学志望」が現実離れしていて、子供じみたバカな志望だということは否定のしようがなく、数学チャンがあきれる気持ちはわからないでもありません。

 

ですが、「水でもやれば成績が伸びんのか!」というのはただの中傷です。

別に私は数チャンはおろか誰かに迷惑をかけたわけではなく、小銭を握りしめて宇宙旅行をしたいと言っただけなのです。小銭を握りしめて宇宙旅行をしたいと言ったからといって、数サンに罵倒される覚えはないのです。

つまらない田舎のつまらない職場で、夢見がちな私は数ッチのストレス解消の格好のカモになってしまったのです。

 

つまらない話です。

バカな教師がバカな生徒をイジメた。

ただそれだけです。

 

ですが、それから何年たっても、このエピソードは私の記憶に残り続け、そして今でも私を苦しめ続けているのです。