私の母校の中学校には、毎年夏に合唱コンクールというものがありました。
合唱コンクール自体はよくあるイベントだと思いますが、どういうわけか私の母校は合唱に力を入れていて、合唱コンクールは皆が異様に熱くなって取り組む一大イベントという趣でした。
ひねくれ者の私が一歩も二歩も引いてその光景を見ていたのは言うまでもありません。
さてその合唱コンクールですが、例年1年生から3年生までのクラス対抗で行われ、学年ごとの課題曲と自由曲の計2曲を歌います。ということは、3年間の中学生活の中で歌うのは6曲、ということになります。
そして、その3年時の自由曲、これがポイントです。
なぜか、3年時の自由曲は戦争などをモチーフにした勢いのある曲が選ばれる風潮があり、先述のように引いて見ていた私ですら、3年生の先輩が歌うそれらの曲は少々かっこよく感じたものです。
そんな合唱コンクールですが、数年前、なんとなく当時のことに思いをはせたときがありました。
そこで問題は起きます。
歌ったのは6曲。
1年生時の課題曲、自由曲、2年生時の課題曲、自由曲、3年生時の・・・。
そうです。
私は6曲のうち、「もっともかっこいい」花形の3年生時の自由曲が何だったか忘れていたのです。
それでも候補は2,3曲浮かんだので、すぐさま私は得意のYouTubeでそれらの曲を試聴したのですが、どれもしっくりきません。これは気持ち悪い。
その気持ち悪さを抱え一年余り、私はとうとう違法捜査をすることに決めました。しばらく連絡を取っていなかった幼馴染にずばり聞いてみることにしたのです。
実はこの捜査方法はとうの昔に思いついてはいました。しかし弊害があって使うのにためらいがあったのです。
その弊害とは、些細なことですが、幼馴染と触れ合うということは、イコール過去の未熟な自分と向かい合うという構図になってしまい、今のことで精一杯な私はどうにも辛くなってしまう、というものです。さらには、今の自分に満足していない自分には、きっと彼らはまぶしく映り、無駄に落ち込んでしまうであろうという弊害も容易に想像できました。
しかし、謎の6曲目、つまりは3年生時の自由曲を思い出せない気持ち悪さは増すばかりで、とうとう幼馴染への直接の質問、いわば司法取引に打って出たのです。
すると、そんな私の葛藤も知らない彼は、あっさりと「全く覚えていない。むしろよくそれ以外の曲を覚えていたね。」とのこと。
彼の言うとおりこんなことは覚えていない方が自然なのかもしれません。
そこで私は候補にリストアップした2曲の容疑者を彼に伝えました。
「ひめゆりの塔か、名づけられた葉、のどっちかじゃないかと思うんだけど…。」
すると幼馴染は
「それだ!ひめゆりだ!」と。
容疑者のうちのひとつ、ひめゆりの塔が犯人だとすると、おそらく私はあまりの思い入れのなさに記憶の定着がいまひとつだったのかもしれません。原曲を聴いてもピンとこなかったのですから。
その思い入れのなさは何に起因するのか。
思えば、私は当時から音楽が好きで、ハーモニーについてはビートルズやビーチボーイズの英才教育を受けて育ちましたから、中学校の合唱は正直言って子供だましにしか思えないし、そもそも音程がずれており全く感情移入できなかったのです。
さらに、女子は一律単なる裏声、男子は単なる低いだみ声を強要される中学校の合唱が、アンサンブルとしてのクオリティが著しく低く、音楽として興味が持てないばかりか不快なものでしかなかったのです。
もし、私の母校が力を入れているのが合唱コンクールではなく器楽コンクールだったとしたら・・・。
少なくとも音程に間違いはないでしょうから、あの夏の容疑者はすぐ出頭してくれたかもしれません。