死後の世界なんてない 前編

物騒なタイトルとなりました。

 

私は神も仏も信じていなければ、スピリチャルもお化けなんかも信じていません(怖いのは怖いです)。

 

ですが、確信していることがあります。

 

 

 

 

死後の世界、それは、ありません。

 

 

 

 

これは、ともすれば不謹慎ともとられかねない話で書こうか書くまいか迷ったのですが、貴重なエピソード、かつ、おそらく救われる人もいるのではないかという気がするので書いてみたいと思います。

 

 

 

 

D君という中学の同級生がいました。

D君と私はたまたま同じ大学に入りました。

 

お互い見知らぬ土地で不安を抱えながら新生活がスタートします。

当然知り合いは一人もいないため、D君と私は入学した4月当初はよく言葉を交わしていました。

 

 

そうです。

 

 

4月当初だけです。

 

 

私の性格が悪いのかもしれません。

 

間もなく私はD君と距離を置くようにしました。

 

距離を置くように「なった」のではなく、距離を置くように「した」のです。

 

私は、見知らぬ土地で不安はあるものの、そもそも一人でいることがさほど苦にならず、新しい環境で誰も知っている人がいないこと、自分が何者でもないことが、実は心地よくもあったのです。

 

そして私は最初から気づいていたのですが、そもそも私とD君とはさして気が合いませんでした。

 

私は、友達というものは同じ趣味や感性で自然につながるものと思っているので、出身地が同じだけでD君と一緒にいるのが気が進まなかったので、D君と距離を置くようにしたのは、私にとっては半ば当然のことでした。

 

その後D君とは全く話すこともなく大学を卒業します。

 

 

時は流れて幾星霜。

 

 

私は何となくD君のことを思い出し、何とはなしにD君の名前をWEB検索してみました。

 

すると、同姓同名の人についての情報がある程度ヒットしたのですが、肝心の私が知っているD君の情報はなかなか見つかりません。

WEB上に必ずしも一般人の情報があるとは限らないのであきらめかけたその時、気になるブログを見つけました。

 

「D君」のことを懐かしむようなブログでした。

 

なぜ気になったのか。

 

そこで書かれた「D君」は小説を書いていたというのです。

 

もう少しそのブログを読み進めてみると、「D君」の小説を読むことができました。

 

内容は、正直言って私が好きなタイプの作品ではありませんでした。

ですが、力をこめて書かれた作品であることはよくわかりました。

 

私は、読める限りの「D君」の作品を一気に読みました。

 

そして、そのブログの断片的ないくつかの記述から、その「D君」は私が知っているD君で間違いないと確信しました。

 

半ば悪口に聞こえるかもしれませんが、正直に書きます。

私が記憶しているD君は、自立心のない、他人に流される人でした。

 

そんなD君が小説を書いていた、それもなかなかに力のこもった小説を。

 

 

つづく