私には姉がいます。
当然物心ついたころから姉が近くにいるのですが、当時から私は言葉にできない違和感を抱えながら彼女と接していました。そしてその違和感は決して心地いいものではありませんでした。
違和感を抱えたまま時は流れ、姉も私も実家を出てお互いに独り立ちしました。
そして数年前です。
私は先述の違和感の正体をようやく言語化することができました。
私は幼いころから、姉の独善的な考えのもと彼女に否定されながら日々を過ごしてきました。
そして今から数年前のある日、姉はいつものとおりありったけの彼女が考える正義のもと私を否定しました。
社会人になって年月も経過しいい大人になっていた私は、そこではっきりとその違和感の正体を自らの中で言語化することができました。
私は姉が嫌いなのです。
なぜ、物心ついたころから大人になるまでこのことを言語化できなかったのか。
それは、身内を愛せないはずがない、身内にひどい人がいるはずがない、という甘い考えに私自身が支配されていたからです。
そこで私は、「うるさい!」や「バカ!」ではない本当に冷たい言葉を彼女に返しました。
「血がつながっているとはいえ人によって考え方は違います。私は幼いころからあなたのその物の言い方や優しくない姿勢が我慢ならなかったのです。これからは距離を取っていきましょう。」と。
この言葉を吐き出すことで、ほんの少し私は楽になりました。
幼いころから自分ではどうすることもできない苦痛に耐えてきましたが、もう我慢しなくてもいいんだと実感できのです。
タイトルの「腹が減っては戦ができぬ」です。
忘れもしません。
とある土曜日、小学生だった私が祖母がつくってくれた好物のおそばを食べる前に、覚えたての言葉を使ってみたくて言ったものです。
すると姉は顔をしかめてこう言いました。
「戦なんかしないくせに!」
今文字で書き起こしていても苦しくなります。
あの日、わけもわからず胸を痛めて布団の中で泣いていた私を、今思い切り抱きしめてあげたい、そう思うのです。