このブログを始めて以来、最も長期間、間が空きました。
書くことがなかったわけではありません。
逆です。
書くことがありすぎました。
このブログのメインコンテンツの一つが読書感想なのですが、すごい本に出くわしたのです。
出会ったのではありません。
出くわしたのです。
そうです。
私の読書生活の中でも過去最大級にひどい内容の本にでくわしたのです。
このブログでは、読んだ本についてはひどいならひどいなりに感想を書くことにしてきました。
ところが、件の本はひどすぎて全く読み進めることができなかったのです。
肝心の本のタイトル、そして全容についてはまたの機会に近々アップします。
今回はその本で引っかかった部分を一つだけ紹介します。
その本にはこんなくだりがありました。
先生は武藤に聞いた。
「武藤さんはシェイクスピアは読んでいますか?」
武藤は否定した。
以上です。
たったこれだけの記述に、私はこの本を読み進めることができなくなりました。
先生のセリフには何の問題もありません。
問題はその後の記述です。
「武藤は否定した。」
?
武藤は何を否定したのでしょうか。
先生は、武藤がシェイクスピアを読みましたよね?と断定したわけではありません。
読んだか読んでいないか、2択の質問をしたのです。
いわば、AかBを選ぶように言ったのです。
この場合、Bは「シェイクスピアを読んでいない」という選択肢なので、「否定した」でも「シェイクスピアを読んでいない」という事実は文脈でわかります。
ですが、別に武藤は「否定」はしていないのです。
正しくはこうです。
先生は武藤に聞いた。
「武藤さんはシェイクスピアは読んでいますか?」
「読んでいません。」
武藤は答えた。
こんな感じでしょう。
この本には、こういった具合で、引っかかる箇所が目白押しだったのです。
その数、100以上です。
編集者の責任とも言えますが、ここまでくると、やはり作家の根本的な文章力の欠如でしょう。
この本を読むことは本当に苦痛でした。
ですが、せっかく最後まで読んだのですから、このブログでどんな形であれ感想を書きます。
口汚くなってしまうかもしれませんが、私は、本であれば最低限の文章力、音楽であれば最低限の歌唱力がないものは認められないのです。
味というのは最低限の条件を満たしてから感じればいいのです。